雑誌『をちこち(遠近)』
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「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」インタビュー・寄稿シリーズ<6>
詩人・詩業家、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表 上田 假奈代さん

2020.11.17
【特集073】

特集「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」(特集概要はこちら)インタビュー・寄稿シリーズ第6回は、大阪市の釜ヶ崎(あいりん地区)でゲストハウスやカフェを営みながら、「学びあいたい人がいればそこが大学」として、街を大学に見立てた「釜ヶ崎芸術大学・大学院*¹ 」等の表現活動を行うNPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表・上田假奈代さんです。ゲストハウスへの旅行客が減少する中、2020年7月に宿泊客にコロナ陽性者が発生。危機の中、「ステイホーム」ができない人たちとのコロナ下の日々について伺いました。

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「さいたま国際芸術祭2020」釜ヶ崎芸術大学の展示の様子。「ことばのむし干し(星)」(本人提供)

――そもそも、詩人として詩を作り始められた原点に「生きづらさ」があったと話されていますが、それと表現をすることの関わりについてどう思われますか?

私自身は、感受性の強い迷惑な子どもだったと思います。話すことが苦手でした。だから書くんですね。自分自身で捉えた感覚を言語化して記したことが、片隅に残っていて忘れず、立ち戻るしるべになっていることに気づきました。その時にしか表せないことをしっかり表すことがとっても大事だと思うようになったんです。

17歳くらいの頃、ベトナム難民の年の近い女性と話したことで、大人への反発や友達との感覚のズレが決壊してしまったんですね。その時自分がギリギリであることを詩で表したんです。限界まで思考して表すことができて、やっと突き抜けてゆけるんですね。その時はわからなかったけど、後になって気がつきました。表したことで、一人で生きられないという人間の本来の姿を発し、それを受け止め応答してくれる人がいるという循環の中で、やっと生が伸び伸びと、生き生きとできるんだなと思うようになりました。表現することは呼び掛けること。そして応答すること。循環そのものが生きていくということなんじゃないかと思うようになりました。

釜ヶ崎に拠点を引っ越して間もなくのことでした。全然心を開いてくれず、皆に嫌われることばかりしているおじさんがいました。毎日ココルームに出入りしてすったもんだしながら1年半くらいたって「字を教えて」と言われて、やっと私は気づくわけです。この方は読み書きがほぼできなくて、自分が表現することをおそらく全て、否定されてきたんでしょう。
人は自分の存在が認められていない場で表現することはとても難しい。これまで「自分の考えを表しなさい」と教育を受けてきて、生きることは表現だと活動してきたけれど、表現する前に、その場にいる人たちと表現できる場をつくることがよっぽど大事なんですね。私にとって、表現の基本を教えてくれた。釜ヶ崎というのは先生なんです。

このところよく考えるのが、「一人の民主主義」。そう名付けていいものかどうか、ちょっと分からないのですが。上述のおじさんのことでは、スタッフは皆、この人を「出入り禁止にして」と言ったんです。このおじさんが来ると帰るお客さんもいるほどで、スタッフとしてはそう思うのも当然といえば当然でしょう。でも、私は理由をきちんと言えないんだけど、それにあらがったんです。私が代表だからできたと言われればそうなんですが。トラブルのたびに、私はいっしょに外に出て話を聞いて、「もう皆、怒っているから、今日は帰って、落ち着いたらあした来てちょうだい」と繰り返しました。

コロナにも通じる話かもしれません。国や自治体が「ああしましょう、こうしましょう」と提示するわけですが、従うのがいいのか、自分たちで考えること、声にすることとはどういうことなのか、迷ったり悩んだりしてもいいんです。具体的に何をしていくのか。「一人の民主主義」というようなことが浮き彫りになったのではないかと思うんです。

緊急事態宣言が出て、地域では行政等が管轄する居場所は閉めているところが多くて、行き場所がないわけですね。ココルームは、行政の補助や委託も受けていない一民間施設ですから自由度があります。この事態は長引くだろうから、カフェ営業を時短営業にして、制度上は守るけど、休業するのではなく、スタッフたち皆と顔をあわせて自分たちの道筋を見つけようとしました。

「みんな不安だよね、そういうことも話をしながらやっていきましょう」と話しました。誰もが自分の気持ちを正直に言える場をつくりたいというのがココルームの場づくりの姿勢なのですから、組織としてもそうありたいと思っています。実際はとても難しいことではありますが。

コロナ中は、ステイホームできない、どちらかというと問題を抱えた人が多くココルームにいらっしゃるのも事実です。
寄付された本の中から来店者におすすめを差し上げるココルーム内の「本間にブックカフェ」というスペースは、誰でも店長になれる仕組みです。家庭に事情があって家にいられない人が、店長をさせてほしいと言ってこられました。

――何らかの役割というか、居る理由というのをつくるのが大事なんですね。

そうだと思います。ずっとお客さんでいることは気を使いますよね。お金も使わなければ、と思うかもしれません。そこにいる理由、やるべきこと、誰かが喜んでくれることがあれば、手を動かせて、気持ちもしっかりします。

2020年5月の連休明けから釜ヶ崎には、コロナで仕事と住まいを失った方が多数流入してきました。居場所や食事のサポートが不足していたので、ココルームでは滞在されたお客さんや支援者から寄付された「恩送りチケット」(食券)でご飯を食べてもらいました。
コロナで倒産してお金がなくなり、1週間くらい野宿をしていて、ネットで検索して釜ヶ崎にやってきた元経営者の方にオンラインのキャリアセミナーを紹介したこともありました。

印象深かったのが、今年5月に出会った30歳の男性。7年間シェルター(無料の宿泊所)暮らしをしていて何もやる気がない人でした。人づてに何度か「ココルームに行ってごらん」と誘われて、やっと重い腰を上げて来てくれました。コロナ禍で全てを失った人たちもまじって、みんなでご飯を食べました。恩送りチケットで食べるご飯は遠慮があったようですが、それでも頻繁に来てくれるようになったある時、夕焼けがとってもきれいな日がありました。私が皆に「屋上に上がって見たら」と声を掛け、彼は上がってきたけど何も言いませんでした。数日後に「これまで夕焼けを見よう、なんて声を掛けられたことはなかった。夕焼けを見て、美しいと思えなかった」と言ったんですね。
それは彼自身が、自分がしっかり生きていないことから、同じように「夕焼けを美しい」と言えない、そんな気持ちをぼそっと語りました。でも、それを声に出した時に、私には「あの夕焼けをきれいだと言いたい」と言っている彼の声が隠されているような気がしたんです。もしかしたら、私が17の時のギリギリの感覚を言葉にするというのに近いかもしれないですね。

やがて「実は東京で働きたい」と言うようになりました。面接用の自己紹介文をパソコンがないから手書きして、私は毎日添削しました。不採用だったのですが、再び東京に行き、仕事を見つけようと、ゆっくりですが、努力しているそうです。わずか3~4カ月の彼の変化は驚くばかり。「あかんかったら、釜ヶ崎に帰っておいで」と送り出しました。彼との関わりを支援ではなく、私は「であいと表現」と捉えています。

――ホームレスの人々と関わるきっかけは何だったんですか?

2003年に釜ヶ崎の隣、新世界で活動を立ち上げて、ホームレスの人々、釜ヶ崎が気になりました。高度経済成長を支えた人たちの街です。大阪の人に「ホームレスは石ころだと思え」と言われたんですよね。2004年に、ホームレスの人が舞台に上がって表現してそれが素晴らしかったら、世間の偏見を翻すんじゃないかしらと思ったんです。釜ヶ崎は人口が多いので変わった人もいて、瞬く間に、この人は! という方に出会うんですよね。

もともと合唱団の指導などもされていたピアニストで、阪神大震災で全てを失ったホームレスの方、野宿小屋に自作の俳句や詩を飾っていらっしゃる方、野宿経験もあって今は生活保護を受けながら生活し、紙芝居の劇をしているおじいさんたちとか。

彼らにオファーすると、ピアニストの方は「生きる理由ができました」と言ってくれました。ココルームの掃除や作業を手伝ってくれたら、まかないご飯を一緒に食べてもらい、本番を元気に迎えてもらうようにしました。
ある人からは、最初断ってきたけど、後日「稽古をつけてください。上手になったら出ます」とメールが届きました。ホームレスの方がメールをくれるのが不思議だったんですが、野宿小屋に住み、自転車屋で働いていたんですね。さっそく稽古につきあいました。

そこから「ホームレスの人って一人一人やっぱり違うんだな」って、当たり前のことに気づきました。それに、舞台に上がったらマイク一本でパフォーマンスするのは、アーティストであろうとホームレスであろうと一緒だと思うんです。私はそういう付き合いがしたいと思ったんです。

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「釜ヶ崎オ!ペラ2014」釜ヶ崎芸術大学の成果発表会。この時は8時間もの超大作。台本を覚えられないので基本即興(本人提供)

――彼らを援助したいというより、表現が純粋に面白かったということですか?

正直、ピアニストの方の演奏に感動したわけではありません。ただ「生きる理由ができました」と彼が言った時の彼のまなざしと声。そこに心打たれました。今でも覚えています。
当時、彼はいろいろなものを失い、もう最後だ、もう自分に生きる理由はないと思っていたそうです。釜ヶ崎に流れ着き、仕事のない労働者やホームレスの方がたむろする三角公園で壊れかけの電子ピアノを見つけて、彼はバッハを弾いたんです。そこにいる人たちは演歌が好きなので文句言われるんじゃないかと思いながら、でも、バッハを弾きたかったから弾いたんですって。そうしたら、男性たちがワンカップを差し出し、「もっと弾いてや」と言ってくれたそうです。
そして、弾けるところはないだろうかと思って、ぷらぷらと歩いていたら、窓からアップライトのピアノがたまたま目に入って、弾かせてほしいとココルームに入ってきました。そして自分の人生を音楽でやり直したいと語ってくれました。そんな出会いでした。

彼らの話を聞いて、どんな出自や状況であれ、表したいと勇気を持った時に、生きるということを深くしていくんじゃないか、と思いました。彼らが素直に語ったり表現していってくれたら、生きる理由を見失っている人が考えるきっかけになったり、何かつかめたりするんじゃないかなと思ったんですね。そんな希望を持って、関わっていました。

こうして考えると、私が心を打たれている場所というのは劇場や美術館といった、いわゆる芸術の館だけではないんですよね。三角公園や、野宿小屋に掛けられていることばや俳句であったりするように、表現というものは人々が生きて暮らしているそばにある。むしろ、これまでの芸術・文化活動というものが、発表の場とか箱物の中に、あるいは○○賞という権威や制度の中に閉じ込められすぎてきたんじゃないかという気さえします。

釜ヶ崎のおじさんたちは芸術活動に対しても、きちんと自分の考えや感想を述べてくれます。一緒に美術館や制作現場を訪ねる機会をつくると、興味を持って参加してくれます。基本貧乏なので、主催者から招待いただき、交通費もどうするか工夫は必要ですが。
こういう市井の人々の表現活動をサポートして活性化することは、ハイ・アート(大衆芸術に対する高級な芸術)を圧迫するんじゃなくて、観客を広げたり、共感を呼んだり、その意味や価値を広げていくことになると思うんですよね。
人々が、自分が表現をする、表現を受け止めてもらうといった経験を積むことによって、そこへもまなざしを向けたり、そこから捉えたりすることができます。また循環が生まれると思うんです。いろいろな仕事や苦労をされている方たちの視点は多様で、驚くことが多いです。

――ココルームが実践している「誰でも受け入れる」というのは、なかなかできることではないですね。

表現というものを手掛かりにしたからこそだと思っています。ココルームの定款には「表現と社会の関わりを探る」と書いていて、誰が対象かは書いていないんです。
そのため、誰でも、となります。でも、全てを引き受けることはありません。
ただ、釜ヶ崎には受け止める団体がたくさんあるので、お願いすることが多いです。
パッチワークみたいな関わり合いがいいと思っているんです。たった一つの相談先、依存先だと、そこが駄目になったらとても困ります。いろいろなところに、ちょっと相談に乗ってもらえる、会いに行ける人がいるのがいいですね。それは困った人だけではなくて、私たち皆です。いろいろな人とのつながりがあるほうが、行き詰まらないと思うんですよね。

受け入れること、そういう場所をつくり続けるというのは、時間もかかるし、とても難しいことでもあると実感しています。場づくりというのは暗黙知なのか、世の中にその汎用性があるのかというのは、これから試みたいことですよね。あると思っているんです。
「ココルーム、言うほどできていないんじゃないかな」と、思うこともあります。さまざまな角度から考察して言語化してみることで、ココルームを超えていきたいです。こんな場が世の中に増えたら面白いと思っています。

――2020年7月、宿泊客にコロナ陽性者が出た時も、いち早く経緯を公表されていましたね。

本当に切羽詰まりました。この地域でも公表した団体等がなかったし、ネットで調べても公表は「ケースバイケース」としかなく、どうしようかと頭を抱えました。
でも、不確定な状況のなかで、正直に公表することで、自分たちが何を考え、どうしていくのかが明確になると思ったんですよね。そして、また更新していけばいい。他人事ではないと考える人々もいることでしょう。自分たちで自分たちのことを決めていくことの大事さは、皆が考えていることを、迷いや不安も含めて、よく話し合っていくことでしか表せない。表現を標ぼうする私たちが、一番肝心なその部分を、勇気を持って表そうと考えました。

それともう一つ、私たちが18年間、宿泊者やスタッフが皆でご飯を食べてきた、「みんなでご飯」をどうするかということを考えました。2週間休業して再開する時に話し合いを持ちました。大皿料理をとりわけるスタイルはコロナを考えるとやめたほうがよい。お客さんに対して説明するのは現場のスタッフです。話し合いでは最初とてもネガティブで、スタッフにとっては負担になるのだと、私は認識しました。コロナが落ちつくまではやめる、ということに私がまとめかけた時に、たまたま長期滞在者が「18年も続けるというのは、意味があるわけでしょう。ちょっと話してよ」と言われたんですね。
それで三つのことを挙げたんです。
一つ目は、食事は後回しになりがちな仕事柄、みんなで食べることでスタッフが健康でいられるように。お給料の少なさを食事で少しでもカバーする。
二つ目は、お客さんも一緒に食べることで、ほぐれて、困り事や悩み事、関心事を話してくれるから、それはきっと社会のニーズであるということ。ココルームの事業のヒントになってきた。
三つ目が、取り箸で必要な分だけ取り、残ったものは次の食事へ。残り物を捨てない。

この話をした途端、カフェを担当するスタッフが顔をあげ、「このまま続けましょうよ」と。話したことを「文章に書いてください」と言われました。場の空気が変わりました。

2020年の釜ヶ崎芸術大学の後期で、大阪大学と食べ残しについて調査をして、食べ物をめぐる循環についても考え、地域の中でも取り組めることを目指して、進めています。
世の中の飲食店やお店で食べ残しは当たり前に捨てられているけど、ココルームでの「捨てない」姿勢は、私の「一人の民主主義」かもしれません。

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「みんなでご飯」毎日、昼と夜みんなで食べるまかないご飯。大皿料理を取り分けていただく(本人提供)

――食事も表現活動であり、文章化して表現したことによって、その仕組みが維持できることになったのが面白いですね。

面白いですよね。自分でもココルームで実践し始めた当初はよく分かっていなかったんですよね。「おうちご飯」という言い方をよくしていました。ココルームのあり様というのは、すごく「家事」っぽいなと思っていたんです。家族も他人ですから、さまざまなことが起こる。驚きながらも一生懸命、素人なりに取り組むでしょ。誰かに話してすっきりしたり、分からなかったら専門家や誰かに助けてもらうことも大事ですよね。

――ココルームは「日々人生劇場」とうたっていますね。

何でも持ち込まれるけど、「台本のないお芝居・ココルーム劇場」というふうにすれば、ちょっと俯瞰的になって面白くなってくる。「役者が多いね、きょうは」とか言って、スタッフと笑っていますね。
それから、声にすることの最初の観客は、自分だと思っているんです。表現をする、表すということは、一回外に出して、そしてもう一回自分という他者が見る、捉える、応答するということ。

――最初におっしゃっていた、苦しい時に表現することが後々力になるというお話も、自分自身が聞いているからでしょうか?

何かを表した時は、何かを選んでいるじゃないですか。言葉だったり、色や線だったり。選択するって、思考をはっきりさせることだと思うんです。そうして思考をはっきりさせることによって、展開していく、更新していくんじゃないかなと思います。
以前、タイのスラムに行った時、そこで子ども向けの絵画教室を案内してくださったボランティアの方が、「これから、この子どもたちは困難な人生を生きるでしょう。けれど、色を選び、線を引く、自分で考える、選択をするという経験が、困難な人生を生きる上できっと役に立つでしょう」とおっしゃっていたことが印象に残っています。

――釜ヶ崎のおじさんたちも舞台に立った時に、意識せずとも選び取ったものがあるかもしれませんね。

そうですね。自分で選んだつもりはなかったかもしれない。流されて、こうなったかもしれない人生だけど、ここで自分の足で舞台に立ち、表した。釜ヶ崎芸術大学の公演を見に来てくださる方は皆さん心が広く温かいので、盛大な拍手も送ってくださいますから、もしかしたら、おじさんたちには、自分の人生を肯定してもらえる瞬間だったのかもしれませんね。

2014年の「ヨコハマトリエンナーレ」への出展、最初は悩みました。「釜ヶ崎の人がつくったものは質が低い」とそれまでよく言われていたので、また言われたら嫌だなと思ってたんです。でも、偉い美術評論家や世間の人が釜ヶ崎の人たちの表現を何か悪く言ったとしても「私は好きなの。私は面白いと思っているから!」と言おうと思って、腹をくくりました。

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「ヨコハマトリエンナーレ2014」釜ヶ崎芸術大学の展示の様子。「それは、わしが飯を食うより大事か?」(本人提供)

――ココルームは「であいの場」とうたわれていますが、これから「出会うこと」は、どのようになっていくとお考えですか?

出会いがどれほど大切かということについては、これほど皆さん、実感した時期はないと思うんですよね。コロナの状況で、出会うことが厳しいとなった時に、代替えというのはあるのだろうか。それはオンラインだけなのか、ですよね。どうなんでしょうね。本当に難しいな。

エッセンシャルワークという言葉がこんなによく聞かれた時もなかったと思うのですが、誰かが体を張って働いてくれて、私たちの生活が成り立っている。例えば、配達業者、運送業者の方が運んでくれて手元に届く。スーパーやコンビニで品物がなくならないのは、働いてくれている人のおかげ。生産者さんも、インフラを整える仕事の方もそうですよね。そうした働きをしてくれて、その中で私たちは生きていられるんだなと思う。そうなると、近所の人とか、いま身近な人と、まずしっかり出会っていくことから始めるしかないんじゃないかしら。

――コロナに際してクラウドファンディングで支援が集まったそうですけど、まだまだ経営は厳しいですか?

クラウドファンディングで400万円ご支援をいただきました。8カ月分の家賃になります。あとは人件費等も必要で結構厳しく、あと1~2年は宿泊業の経営は難しそうな印象ですから、頭をかかえています。
泊まりにきてくれていたのは半分外国人、大きかったのは大学のゼミの団体だったので、本当に経営的には困っている状況です。「Go to 釜ヶ崎」してくれる人、いないでしょうかね。

――いろいろな人たちとの共生が課題となっていますが、ココルームのあり方から学べる気がしますね。

世の中、だいぶ大変だと思います。ココルームで私が学んだことは、困った人は困っている人。何か理由がある。それが解きほぐせたら糸口もあるかなと思います。
考えが違うとしても、お互いに考えていることを言えて、「あ、違うけど、そういうことなのね」と言って、気が済む。それぞれに「気が済む」ということが結構大事かなと思っています。
自分の気持ちを言えないまま、何かが進行すると、とても悔しいし腹が立つけど、「言えた」というのは結構大事かなと思うんですよね。どうでしょうか。

――「言いたかった」という文句とか怨念みたいなものはすごいですよね(笑)。

そうなんですよね(笑)。私も本当に話すのが苦手だったから、怨念の塊みたいな子どもだったんですよ。だから、書いてたんですね。

――それを詩に。

そうそう。でも、一生懸命訓練して、なるべく言うようにしようと。失敗しないと、その先言えないということも分かってきました。そういう失敗が合意形成に必要だということを、まず分かってもらって、まず失敗し合える場をつくることから始めたいですね。小さなところから始めたほうがいいと思うんです。家族でも、友達同士でも、職場の小さなグループでもいいし、小さいところから練習していかないと、大きい場でも言えないですよ。

もっと世の中に、話し、聞き合える場があるといいですよね。そのことを担っていけるのが芸術・文化の役割じゃないかなと私は思うんですよね。もちろん、自治活動とか市民活動でも担っていけるかもしれないけど、失敗して、話し合うことや聞くことを勉強していこうっていうのは、文化じゃないかなと思うんですよね。
アートNPOとして、表現を大切にしていこうとしている団体ですから、これからもそういうことを言っていきたいと思っています。コロナを経て、余計に強く思うようになってきました。

――コロナに際して「ピンチはチャンス」とおっしゃっていましたが、学ぶところはかなりあったということでしょうか?

本当に、追い詰められないと駄目ですね。嫌だなあ(笑)。


*¹ 釜ヶ崎芸術大学・大学院......2012年より釜ヶ崎地域のさまざまな施設を会場に、天文学、哲学、美学など、年間約100講座を開催中。近隣の高校や中学校への出張講座も行っている。

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上田 假奈代(うえだ かなよ)
1969年生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読を始める。1992年から詩のワークショップを手がける。2001年「詩業家宣言」を行い、さまざまなワークショップメソッドを開発し、全国で活動。2003年ココルームを立ち上げ、「表現と自律と仕事と社会」をテーマに、社会と表現の関わりを探る。2008年から大阪市西成区(通称・釜ヶ崎)で喫茶店のふりをしている。「ヨコハマトリエンナーレ2014」に釜ヶ崎芸術大学として参加。NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。2014年度 文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

公式ホームページ http://kanayo-net.com/
NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)http://cocoroom.org/


2020年9月 オンラインにてインタビュー
インタビュー・文:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)

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