さまざまな愛の形

野崎 歓(東京大学教授)



 国際交流基金は「翻訳出版助成プログラム」 を通じて、過去40年以上にわたり、日本関連図書の海外での出版に対する支援を行ってきました。出版された図書の言語は50を超え、そのジャンルは古典文学、現代文学、歴史、社会学、政治、経済、文化論等多岐にわたります。この度、新たな試みとして、海外の方々に日本の現代社会をよりよく理解してもらうための良著を"Worth Sharing―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation" という冊子にまとめ、「翻訳推薦著作リスト」として紹介していくことにしました。第1弾「日本の青春」、第2弾「日本の地方」に続き、第3弾は「日本の愛」と題し、フィクションを中心に同時代を生きる日本人のさまざまな愛の形を表現した20冊の選書を行いました。選書委員のお一人である野崎歓氏にご寄稿をいただきました。

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 男女の愛は古くから、日本の文学にとって大切な主題の一つだった。7世紀後半から8世紀にかけて編まれた『万葉集』には、すでに鮮烈な恋の歌の数々が含まれている。そして『源氏物語』に代表される平安朝文学は、宮廷びとたちの恋愛の諸相をつぶさに描き、世界文学史上でも特筆すべき達成を示した。「色好み」の美学は、日本文学のもっとも魅惑的な特徴を形作ってきたのである。
 21世紀において、その伝統に陰りが生じているのだろうか。日本の若者たちが恋愛に積極的でなくなったことが一種の社会問題として報道され、性に恬淡(てんたん)とした「草食系男子」の増加が取り沙汰されたりしている。だが、現代小説の最先端に触れるならば、愛は作家たちにとって刺激的な主題であり続け、多様な表現を生み出していることがわかるだろう。
 一方で作家たちは、ラブ・ロマンスの常道を踏み越える大胆な表現と思考を追求している。ジェンダーの境界を攪乱(かくらん)し、男性中心主義に鋭く異議を申し立て、規範的な性からの解放を夢見続ける。そこには、まったく見も知らぬ通りがかりの男女の間に成り立つ刹那(せつな)的な関係もあれば、夫ないし妻の死後もなお愛をつらぬく配偶者の姿もある。高校生の過激な性行動が語られるかと思えば、高齢者同士の淡く清らかな恋心が描かれもする。そしてもちろん、男女の愛のみならず、家族、親子を結ぶ愛のあり方も、変化の波にさらされながら、小説にとって重要な要素であり続けている。

various_love02.jpg various_love03.jpg various_love04.jpg  このリストには、新鋭のデビュー作から、ベテランの最近作まで、世代もキャリアも異にする作家たちの作品が並んでいる。私たちはいわゆる純文学と大衆文学の区別にとらわれず、意欲あふれる魅力的な作品を選び出すことに努めた。もちろんあらゆる重要作を網羅できたわけではないが、日本の社会の現実を鋭く照射しつつ、文学の表現を押し広げる力を持った作品を集めることができたと自負している。そこに村上春樹の作品が含まれていないのは、単に彼がすでに圧倒的な知名度を獲得しているがゆえにである。ひょっとすると村上の巨大な人気の陰に隠れてしまっているかもしれない現代日本文学の多彩な煌きらめきを、これらの作品からまざまざと感じ取っていただけるはずだ。時代とともに大きく姿を変えつつ、愛は日本文学に豊かな生命を吹き込み続けている。

(2014年12月発行"Worth Sharing―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation"より転載)

【参照記事】
特別寄稿「さまざまな青春の形
Feature Story「日本の地方のさまざまな風景





various_love05.jpg 野崎 歓(のざき かん) 1959年、新潟県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、 同大学院中退。 1985年より1989年までパリ第3大学仏文学科博士課程に留学。東京大学文学部助手、一橋大学法学部講師、同大学院言語社会研究科助教授等を経て2007年、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部准教授、2012年より教授。 専門は19世紀フランス文学、スタンダール『赤と黒』、 バルザック『幻滅』(共訳)等を翻訳。映画評論、 文芸評論も手がける。2000年にジャン=フィリップ・ トゥーサン作品の翻訳でベルギー・フランス語共同体翻訳賞、 2001年『ジャン・ルノワール 越境する映画』でサントリー学芸賞、 2006年に『赤ちゃん教育』で講談社エッセイ賞、 2011年に『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』 で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞。





"Worth Sharing ―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation" 「Vol.3 日本の愛」で紹介している図書一覧

『ツ、イ、ラ、ク』 姫野 カオルコ
『なめらかで熱くて甘苦しくて』 川上 弘美
『愛の夢とか』 川上 未映子
『変愛小説集 日本作家編』 岸本 佐知子 編
『ふがいない僕は空を見た』 窪 美澄
『屋根屋 』 村田 喜代子
『ふくわらい』 西 加奈子
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』 岡田 利規
『パイロットフィッシュ』 大崎 善生
『負け犬の遠吠え』 酒井 順子
『冥土めぐり 』 鹿島田 真希
『秘事/半所有者』 河野 多惠子
『岸辺の旅』 湯本 香樹実
『抱擁、あるいはライスには塩を』 江國 香織
『なずな』 堀江 敏幸
『ビタミンF』 重松 清
『父、断章 』 辻原 登
『さようなら、オレンジ』 岩城 けい
『島はぼくらと』 辻村 深月
『犬身』 松浦 理英子



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