雑誌『をちこち(遠近)』
バックナンバー

バックナンバー一覧

3.わたしは「日本語」に住んでいます

昨年末、わたしにとってはじめてのエッセイ集『台湾生まれ 日本語育ち』が刊行されました。帯にある「我住在日語 わたしは日本語に住んでいます」という文章は、編集者の方が付けてくれたものです。

わたしの『来福の家』という本が台湾で翻訳・刊行された際、日本と台湾を行き来しながら育ったあなたは自分の居場所はどちらにあると思いますか? と中国語で質問されて、わたしの口からとっさに出てきたのは、わたしは日本語に住んでいる、を意味する「我住在日語」という中国語でした。

japanophone03_01.jpgのサムネール画像

はじめてのエッセイ集『台湾生まれ 日本語育ち』。題字はわたしが書きました。

日本語に住む。

あまり耳にしたことがない、ちょっぴりへんてこな表現だけれど、口にしたとたん、わたしはこれだ、とすっと腹におちたことをはっきり覚えています。

「日本」ではなく、「台湾」でもなく「日語(日本語)」。 

日本人としてうまれたわけではないし、日本の国籍をもっているのでもない。けれども日本語の中で育つ。日本語が聞こえている場所で暮らす。

台湾人としてうまれ、台湾のパスポートをもっているけれど、ものを考えるときには日本語をもっとも頼りにしている。

台湾にいると、日本語は自分だけのものなのだと錯覚することが、今でもときおりあります。もちろん台湾にも日本人はたくさんいるし、日本語ができる台湾の方もたくさんいます。それでも特に子どもの頃のわたしは、中国語や台湾語が主に飛び交う台湾でしばらく過ごしていると、日本語はわたしの心の中だけでそっと響くことばである気がしてきます。

そんな調子なので成田や羽田の空港で日本語が聞こえてくると、はっとします。日本人とかれらが交わすことばの気配によって、これからまた日常、日本語の中に自分は帰っていくんだなあ、と感じるのです。

――我住在日語、わたしは日本語に住んでいる。

・・・・・・そうは言ってみたものの、わたしの知っている日本語って、実はごく限られたものなのだ。

いつからかわたしは、そう考えるようになっていました。

というのも東京で育ったので、わたしは東京のことばしか話せません。

けれども、あたりまえのことながら、日本は東京のことだけではありません。

東京で話されていることば――いわゆる「標準語」と呼ばれるもの――だけが日本語ではないはずなのです。

「日本語に住んでいる」と名のるからには、日本の各地で話されている・話されてきたさまざまなことばをもっと知りたい。

ちょうどそんな思いを募らせていた今年2月、またとない好機が巡ってきました。

演出家の高山明さんから秋田を素材とした短篇小説の執筆を依頼されたのです。

高山さんは演劇ユニットPortBの主宰として観客論を軸に据え、現実の都市や社会に「演劇=客席」を拡張していく手法で卓越した観客参加型の演劇作品を幾つも創ってきた方です。

現在、高山さん率いる一般社団法人Port観光リサーチセンターでは、アートとローカルメディアのコラボレーションによって地域社会に新しい可能性を見いだす「メディア・パフォーマンス」というプロジェクトを行っているのですが、2015年度は秋田を舞台に「言葉と教育」をテーマにリサーチを進めていました。

真冬の早朝、Port観光リサーチセンターの所長である林立騎さんと新幹線で秋田にむかいました。目的地に着いたのは正午近い頃です。冷たい風に頬を打たれながら空をあおぐと、雲間から光が射すのに空の彼方でちらちらと雪が舞うのが見えました。お天気雨なら見たことがあったけれど、お天気雪、ははじめてだと感動しました。

まずは、旧・西成瀬村(現・横手市)をおとずれ、秋田の子どもたちに熱心な標準語教育を施した遠藤熊吉の資料館を見学させていただきました。

japanophone03_02.jpg

戦前から「標準語の村」として知られてきた秋田県西成瀬村。現在は閉校したが「増田町立西成瀬小学校」では遠藤熊吉ゆかりの資料などが観覧できる。

その後、東成瀬小学校をおとずれ、英語や国語の授業を見学させてもらいました。おうちでは年長者たちと方言を話す子どもが、「標準語」と、英語を、どちらも自分にとっての新しいことばとして溌剌と学ぶ姿が、とても印象的でした。

日帰りの旅ではありましたが、それまで台湾という比較対象でのみ日本語を捉えてきたわたしにとって、雪深い村で行われていた「標準語教育」の歴史や、秋田の子どもたちとの交流は、日本語の幅がぐっとひろげられるような、忘れがたい一日となりました。

japanophone03_03.jpg

「子どもの頃、おうちで何語を喋っていたんですか?」「わたしのうちではね、台湾語も中国語も喋っていたよ」――秋田で出会った子どもたちとのお喋りは楽しかった。

2月末、私は「おてんきゆき」と題した短篇小説を完成させます。

この小説はPort観光センターが製作するプロジェクト全体のドキュメントに全文掲載される予定ですので、ご興味を抱いてくださった方は今後の告知にどうぞご注目くださいね。

日本のさまざまな土地で奏でられていることばを想像するたび、わたしの住処である「日本語」は、わたしが思う以上に豊穣な場所であるはずだと予感していたけれど、秋田をおとずれてそのことを確信した嬉しさから、日本語の豊かさをもっと具体的に体験したいという気持ち、ますます強くなっています。次はどこに行こうかな。

japanophone01.jpg 温 又柔(おん ゆうじゅう)
作家。1980年、台北市生まれ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。2011年『来福の家』(集英社)を刊行。2013年、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷-作家リービ英雄52年ぶりの台中再訪』(大川景子監督作品)に出演。2014年、音楽家の小島ケイタニーラブと「ponto」を結成し、朗読と演奏による活動「言葉と音の往復書簡」を開始。最新刊は日本で育った一人の「台湾人」として綴った言葉をめぐるエッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』(白水社)。この2月に短編小説「被写体の幸福」を『GRANTA JAPAN with 早稲田文学 03』(早川書房) にて発表。

温又柔 Twitter https://twitter.com/wenyuju


Page top▲

Twitter - @Japanfoundation