雑誌『をちこち(遠近)』
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10.バイクに揺られて、揺さぶられ
――北投ヘテロトピアのススメ――

 ふだん、あまり車に乗る機会がありません。オートバイなんて、もってのほか。だからあの日、私は緊張まじりの昂揚感とともに台北捷運(地下鉄)の淡水線に揺られていました。
 台北車站(駅)から北にむかって11駅目の奇岩という駅で降ります。
 そこから5分も歩かないうちに、目的地であるはずの住所にたどり着きました。
 一瞬、ここでよいのかな、とためらいます。目の前にそびえるのは質素なオフィスビル。とまどいながら入口を挟んだ両側の壁を見やると、絵が飾られています。その作品の片隅に「鳳甲美術館」とあります。
 やっぱりここのようだ。
 そう思ってビルをあおいでいる私の背後で、車のエンジン音がしました。ふりかえると、車ではなくバイクでした。
 もしかして、と思うまもなく、立て続けに数台のバイクがビルの前の道に停まります。
 ぜんぶで、5台。ワイルドな風貌の大きめのオートバイや、スーパーで買い物をした主婦が乗っていそうなスクーター。若い男の子がガールフレンドを乗せているようなもの。
 疎い私の目にも、単車の種類はさまざまでした。
 圧巻だったのは、またがっていたバイクから続々と降りた運転手たちがどのひとも、中年男性――おっちゃん、だということ!
 颯爽とバイクを停めたおっちゃんたちの姿恰好が、ポロシャツに短パンなどといった日曜日のお父さんという調子なのがまたキュートでした。
 温小姐(温さん)、と声がしてふりむくと、すらっとした細身の女性がこちらに近づいてくるところでした。
「北投ヘテロトピア」のキュレーター、許芳慈さんです。
 いたずらっぽく瞳を輝かせながら、温さんどのバイクに乗りたい? と英語で私にたずねます。そのとたん、前の晩から続く、くすぐったいような楽しいようなふしぎな緊張感がふたたび募ります。

 2016年8月初旬のことでした。
 演出家の高山明さん率いる演劇ユニット「Port B」が2013年にスタートさせた観客参加型演劇作品「東京ヘテロトピア」の台湾版「北投ヘテロトピア」に寄せるテキストを執筆するため、私はこの日、バイクタクシーを体験する予定でした。
 真夏のことなので、暑さが過酷でないうちにと集合は午前の早い時間帯でした。
 芳慈さんと話していると、鳳甲美術館の呂佩怡さん、芳慈さんと共に「北投ヘテロトピア」を制作する柯念璞さん、そして前日に東京から台北に飛んできた管啓次郎さんも合流し、北投を周遊する私たちの「バイクタクシー・ツアー」はいよいよ始まります。

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台北の北の郊外、山に入ったあたりにひろがる北投の町並み。

 ところで、「東京ヘテロトピア」とは、東京のなかの「異郷」をテーマとし物語を観客に体験してもらうというプロジェクトです。東京芸術劇場、東洋文庫ミュージアム、アンコールワット、国際救援センター跡、徳川ビレッジ・・・・・・「訪問地」として設定されたそれぞれの場所をおとずれ、ダウンロードしたアプリから再生された音声テキストに耳を傾けながら、故国を追われ、移民や難民として東京に根をおろし、「東京人」となったアジア系移民たちの物語に触れるとき私は、管啓次郎さんの表現を拝借すれば「現実社会の裂け目から異質な論理が顔をのぞかせる場所」を意識します。
 私も、高山さんが構成・演出するこの演劇作品の作り手の一員として、Port観光リサーチセンターの林立騎さんを中心とするリサーチ・チームから託された調査の成果とむきあい、さまざまな訪問地、たとえば、留学生の父と呼ばれた穂積五一創設の財団法人アジア学生文化協会が運営する新星学寮や、無国籍の医者エフゲニー・アクショーノフが院長をつとめたインターナショナル・クリニックなどを舞台に「ここで起きたかもしれない物語」を創作しました。(「東京ヘテロトピア」は現在も継続中。http://portb.net/App/

 この観客型演劇作品に注目した芳慈さんが、北投でもやりましょう、と高山さんに提案したことから「北投ヘテロトピア」は始動しました。
 ずらりとならぶバイクと、その運転手たち。かれらは観光客を温泉旅館に送り届けることもしますが、近隣の住民もこうしたバイクタクシーをおおいに頼りにしているとのこと。目的地に行くために乗るのはもちろん、昼食時には勤め先にお弁当を届けてもらったり、共働きの夫婦が子どものお迎えに代わりに行ってもらったり、お年寄りが水道料金や電気代の入金を頼んだり・・・・・・しかし実は、台湾でもバイクタクシーが日常的に使われているのは、この北投地区のみ。
「その理由は、北投の歴史に深くかかわっているんですよ」
 という高山さんのことばを思い出しながら、私は運転手から渡されたヘルメットをかぶります。こわごわと後部席に跨ったこちらに、準備はいいか? と中国語で訊く運転手さんには愛嬌めいたものもそっけも何もありませんでした。それでも私の両手が自分の肩をつかむのを確かめてからバイクをゆっくりと走らせます。
 真夏の台北の空の下、芳慈さんが跨っているバイクを先頭に、私たちのツアーは鳳甲美術館前から出発します。私を乗せたバイクは、いちばん後ろを走っていました。少し緊張しましたが、噂通り、荒っぽいとは正反対の穏やかで紳士的な運転にほっとするうちに、だんだん気持ちが弾んできます。午前中の大通りは自動車が少なく、頬にあたる風がとても心地よかった! 運転手のおっちゃんはやはり噂通りとても無口でした。信号待ちのとき斜め前を走っていた管さんがにこにこ笑ってこちらにカメラをむけます。
 新北投駅の前でバイクが次々と停車したときは美術館を出発してからたぶん10分も経っていませんでした。地面に足をつけたとたん、よろめいた私を運転手が支えてくれます。こわもてかと思いきや、私のあぶなっかしさに呆れたのか、顔をほころばせています。

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シャイで無口かと思いきや、台湾語で話しかけたとたん饒舌になったバイクタクシーのおっちゃん。

 この日は、高山さんが芳慈さんたち台湾の制作チームと約半年をかけてリサーチを重ねた「北投ヘテロトピア」のための訪問地候補の場所をバイクでめぐります。
 大日本帝国陸軍が日露戦争で負傷した兵士のために建てた旧台北衛戍病院、国民党軍関係者の居住区として改築された中心新村、北投をおとずれた男性客を「慰安」する女性たちを対象とした性病検査場だった旧公娼検査所、地面から湯煙が立ちのぼる山頂の硫黄谷・・・・・・。
 それぞれの場所に深く刻み込まれながらも今やほとんど忘れ去られている歴史について芳慈さんたちが説明してくれます。そのようにして「北投ヘテロトピア」の訪問地となる予定の各地をめぐるあいだじゅう、宗主国と植民地の関係にあった日本と台湾のどこか禍々まがまがしいともいえる深い縁について考えないわけにはいきませんでした。
「東京ヘテロトピア」は東京に埋もれていたアジア系移民の歴史を掘り起こし可視化するという試みなのですが、北投版のヘテロトピアは、北投という土地に刻まれた歴史に凝縮されている台湾そのものが歩まざるをえなかった近現代史と向き合う試みなのだと私には感じられたのです。
 バイクに揺られながら土地に刻まれた記憶に揺さぶられ、私たちのツアーは続きます。
 何しろ8月の台湾です。
 太陽の明るさは目眩を誘います。その分、鬱蒼と茂る木々が作る影は濃く深く、その中に忘れ去られた歴史の痕跡のようなものの気配が潜んでいてもふしぎはないような、奇妙な心地でした。傾斜の急な山道をバイクでたどり、硫黄の匂いに半ば酔っていたのもあるかもしれません。

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北投といえば温泉。ずばり、「温泉路」という住所が!

 いつしか私は、いま、自分がそうしているように、バイクタクシーの後部席に跨って「仕事場」である温泉旅館にむかう女性たちのことを想像していました。
 かのじょたちの仕事は、北投をおとずれた男たち――ベトナム戦争に赴くアメリカ兵や、高度経済成長期の頃の日本人商社マンなど――を「慰安」すること。
 仕事場である温泉旅館に行く前にかのじょたちは、公娼検査所に寄るのかもしれない・・・・・・実は、性産業に従事する女性たちが利用したからこそ、北投地区でバイクタクシーは発展したのです。
「北投は坂道が多くて、自転車だと大変。ふつうのタクシーだと運賃が高い。それで温泉旅館で働く女性たちにとって、バイクタクシーは非常に気軽で頼もしかったのです」
 芳慈さんたちの説明にうなずきながら、北投が抱えこむ歴史をひもときながら「ここであったかもしれない」物語を創作することをとおして、自分と台湾の関係はまたしても複雑になるにちがいないと私は予感しました。

 2016年10月15日、鳳甲美術館が主催する台湾国際映像展覧会「負地平線」出展作品のひとつとして、「北投ヘテロトピア/北投異托邦」は始まりました。
 各訪問地に設置されたQRコードを読み取るとそれぞれの場所にまつわる歴史を軸にした物語を音声で聴くことができます。期間中に台湾をおとずれる方は、ぜひ、バイクタクシー・ツアーに参加して「現実の中の異郷=ヘテロトピア」としての北投を経験してみて下さい。旅する詩人・管啓次郎、台湾原住民タイヤル族のワリス・ノカン、「準台北人」の陳又津、そして台湾系ニホン語人の温が「北投」の歴史に呼応し、綴ったテキストをとおして台湾の複雑な豊かさを味わってもらえるのなら、うれしい限りです。台湾作家の日本語訳もあるのでご安心ください。ちなみに私、温は最終日の1月8日にツアー参加予定!
ぜひご一緒しませんか?

【Information】
①「北投ヘテロトピア/北投異托邦」の開催は2016年10月15日~2017年1月8日。ツアーは鳳甲美術館より15:00に出発(月曜日は休み)。
http://www.twvideoart.org/tiva_16/Akira_TAKAYAMA.html
ツアーの予約 http://bit.ly/2e5Uzig

②「声の氾濫」シンポジウムに登壇。12月3日15:00~@明治大学駿河台校舎アカデミーコモンアカデミーホール。
https://www.meiji.ac.jp/sst/grad/information/2016/6t5h7p00000m8lbj.html

japanophone01.jpg 温 又柔(おん ゆうじゅう)
作家。1980年、台北市生まれ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。2011年『来福の家』(集英社)を刊行。2013年、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷-作家リービ英雄52年ぶりの台中再訪』(大川景子監督作品)に出演。2014年、音楽家の小島ケイタニーラブと「ponto」を結成し、朗読と演奏による活動「言葉と音の往復書簡」を開始。最新刊のエッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』(白水社)がこの6月に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。品切重版未定だった『来福の家』が9月下旬に白水社Uブックスから復刊。

温又柔 Twitter https://twitter.com/wenyuju

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