雑誌『をちこち(遠近)』
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インドの現代ダンス事情-チェンナイ、ムンバイ、ニューデリーを巡って

武藤 大祐(ダンス批評家)



 2005年頃にアジアの現代ダンス(コンテンポラリーダンス)の世界に足を踏み入れて以来、インドへ行きたいとずっと思っていた。
 インドの現代ダンスといえば、バンガロールを拠点とする「アタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツ(Attakkalari Centre for Movement Arts)」が国際的に有名だ。芸術監督のジャヤチャンドラン・パラジー率いるカンパニーは世界中で公演しており、地元で開かれるフェスティバルも成功している。筆者も2013年1月にスピーカーとして初めて参加し、沢山の刺激を受けたのだが、同時に各都市からやって来ていた大勢の関係者ともつながりができた。

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学校現場へ出掛けて行なわれるアタカラリのアウトリーチ・プログラム(撮影: Prasad)

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アタカラリが主催する若手の振付家育成事業「Young Choreographer`s Platform」から(撮影:Manikantan)

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(左)アタカラリの新作「AadhaaraChakra - A dancelogue」(提供:Attakkalari)
(右)アタカラリでの照明デザインのワークショップ(撮影:Lekha Naidu)


 それから約半年後、幸運にも、国際交流基金ニューデリー日本文化センターの招きで、インド再訪の機会を得た。できたばかりの伝手を辿り、念願のチェンナイ、ムンバイ、ニューデリーの三都市を見て回れたので、インドの現代ダンスの状況をかいつまんで報告したいと思う。



チェンナイ-ダンスの歴史が息づく場所
 インドはイギリスの植民地時代に伝統舞踊が衰退したが、1930年代に復興され、今日の「インド古典舞踊」の基礎ができた。そこからさらに、1980年代頃から伝統舞踊や古典舞踊を乗り越える現代ダンスの領域が開拓されてきた。
 とりわけ南インドのタミル・ナードゥ州の州都チェンナイ(旧称マドラス)にはこうした経緯が全て折り重なっている。ヒンドゥー寺院の踊り子(デーヴァーダーシー)による伝統舞踊「バラタナティヤム」の発祥の地であり、それを公式の「民族舞踊」へと作り変えたルクミニ・デヴィ(1904-1986)が1936年に学校を設立した。さらにルクミニ流の近代バラタナティヤムを批判して前衛的な現代ダンスに転換したチャンドラレーカ(1928-2006)もここを拠点とした。そして今ではこのチャンドラレーカの弟子だったパドミニ・チェトゥール(1970- )が師のミニマリズムを継いで世界的に活躍しており、このパドミニのカンパニーからさらに次の世代が現れ始めている。チェンナイはダンスの歴史が脈々と息づく場所なのだ。
 もちろん現代ダンスは主流ではないが、パドミニや、その弟子で若手作家として注目されるプリーティ・アスレヤを中心とした緩やかなネットワーク組織「ベースメント 21」が様々なプロジェクトを展開している。物理的な拠点はなく、インドでも活発に文化事業を展開しているフランス政府の公的文化機関「アリアンス・フランセーズ」や民間のギャラリーが会場提供などの形で協力してくれるという。筆者も「ベースメント21」とアリアンス・フランセーズの協力を得て、日本の現代ダンスを紹介する講演をチェンナイで行ったが、ダンス・演劇・美術・音楽など様々な領域の人々が集まり、人脈の広がりを感じた。
 講演後には意見交換の場が持たれ、ダンスと社会構造の関係などについて議論した。古典舞踊がナショナル・アイデンティティの象徴として重視されるインドと、ほぼ常にナショナル・アイデンティティの否定を通じて発展して来た日本のダンスは実に対照的だが、こうした違いがなぜ生まれてくるのか、またそれが現代の創作にどう関わってくるかなど、アジア人同士だからこそ見えてくる論点は多い。



映画産業が背後に控えるムンバイ
 西海岸に面するマハーラーシュトラ州の州都で、インド最大の都市・ムンバイ(旧称ボンベイ)は、舞踊史との接点は少ないが、現代ダンスの先駆者アスタッド・デブーも本拠を構え、また近年は若手の動きも芽生え始めている。
 「ダンス・ダイアローグズ」という組織が受け皿となって公演が行われている他、「国立舞台芸術センター(The National Centre for the Performing Arts, NCPA)」も2011年からフェスティバルを主催している。現代ダンスはムンバイで着実にその存在感を増しつつある。「ダンス・ダイアローグズ」の中心人物は、古典舞踊オディッシーのダンサーで、博識の作家・ジャーナリストでもあるランジャナ・ダーヴェ。彼女の案内で、若手作家のアトリエから個人の教室、学校まで案内してもらい、この街のダンスのインフラを色々な角度から見ることができた。
 筆者のムンバイでの講演も「ダンス・ダイアローグズ」が主催で、同地で活動するドイツの公的文化機関「ゲーテ・インスティチュート」に会場を提供して頂いた。新聞に事前記事が出たためか熱心な聴衆が多く集まり、インドでは情報の少ない日本のダンスに対しても大きな反響が返ってきて、手応えを感じた。

 ところでムンバイといえば、インドの映画の都として「ボリウッド」が有名だが、商業系と芸術系のダンスを合流させて大変な人気を集めているユニークな学校「テレンス・ルイス・アカデミー」も興味深い。ムンバイでは映画産業のおかげでダンスが一つの職業として成立しており、このような環境と芸術の「共生」が模索されている。

modern_dance_india05.jpg ムンバイでの講演で大野一雄について紹介する筆者(撮影:Ranjana Dave)

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ダンス・ダイアローグズのワークショップ(撮影:Kartik Rathod)

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作品についてディスカッションする出演者たち。ダンス・ダイアローグズで(撮影:Karthik Kasi)



世界とより連接したニューデリー
 冒頭に紹介したバンガロールのアタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツの後を追うように急成長しているのが、ニューデリーで活動する「ガティ・ダンス・フォーラム」という組織だ。振付家でダンサーのマンディープ・ライキーとアヌーシャ・ラルの二人が中心となって、作品を作り、スタジオを持ち、ワークショップやフェスティバルまで運営する。驚異的なエネルギーだ。
 このガティ・ダンス・フォーラムで振付家志望の若手を対象にした10週間のレジデンシー・プログラムの最初の週に講師として参加した。これから創る作品の構想を募集し、選抜された10名ほどが、テクニックや手法を学びつつ、意見交換の場で相互に刺激し合い、最終的に作品を上演する。プログラムへの参加費は無料で、実施経費は別途調達した外部からの助成金で賄っているという。
 ガティ・ダンス・フォーラムは伝統舞踊にはあまり固執せず、集まった受講者も大半は「インド」とは直接関係のない抽象的なモチーフや日常生活での経験をもとに作品を作ろうとしていた。ヨーロッパに留学経験がある人も多い。アヌーシャは「伝統舞踊の世界は閉鎖的すぎる」と言い、チェンナイのように歴史と現代が地続きになっている場所との温度差を興味深く思った。

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ニューデリーで活動するガティ・ダンス・フォーラムの稽古風景

 筆者は、日本のダンスについてのレクチャーの他に、振付のワークショップなども行なったが、反応の内容も非常に濃く、こちらが受け取るものも多かった。10週間と長い期間のプログラムだったので、成果発表の場にまでは立ち会えず残念だったが、ガティ・ダンス・フォーラムがアタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツに迫る規模まで成長すれば、インドには南北それぞれに現代ダンスの拠点ができて、かなり状況が変化するはずだ。

 二週間強の滞在だったが、チェンナイ、ムンバイ、ニューデリーと三都市に渡ってインドのダンスを多面的に見ることができた。都市ごとに文脈は違うものの、いずれにせよ現代ダンスが非主流であるからこその熱さを感じた。アジア域内での交流にも関心が高く、日本とインドの間でのプロジェクトもこれから増えて行きそうな気がする。





modern_dance_india01.jpg 武藤 大祐(むとう だいすけ)
ダンス批評家。群馬県立女子大学文学部准教授。共著『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012年)、論文「大野一雄の1980年」(『群馬県立女子大学紀要』第33号、2012年)、「イヴォンヌ・レイナー『トリオA』における反スペクタクル」(同30号、2009年)など。韓国のダンス月刊誌『몸』で時評を連載。Indonesian Dance Festival(ジャカルタ)共同キュレーター




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