雑誌『をちこち(遠近)』
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02 レマン湖での出会い

河瀨直美
映画監督



 この季節になるとスイスのニヨンという町で開催されている映画祭のことを思い出す。「萌の朱雀」を完成させる前につくったプライベートなドキュメンタリー作品を招待してくれた稀有な映画祭だ。レマンという湖のほとりにある小さな町だが、お城や教会があってゆっくり散策するにはちょうどいい。湖のほとりでは避暑を楽しむ人たちがリラックスした表情で過ごしている。ヨーロッパの古い町に来ると、平日の昼間なのに割と多くの人々が公園でお昼寝をしていたり、お弁当を広げていたりする光景に出合い、日本との違いを強く感じる。ここでもそうして「時間」の感覚を豊かにもちながら過ごしている人に出会うことはわたしの感性を強く刺激した。

kawase02_01.jpg  初めてこの地を訪れてから数年たった頃、2000年の春にわたしの回顧展をしたいという申し出があり、当時映画を創ることを辞めようと思っていたわたしにはちょうどいい提案に想えてこれを受けた。その地で出会ったのがオレリアン・ハンクー君という当時ジュネーブ大学の学生だった青年で、日本の漫画から勉強したという日本語は流暢なもので、かつ若者の言葉を取り入れている話し方はとても親近感が沸いた。結局彼はボランティアでこの映画祭の手伝いをしていたのだが、わたしのアテンドとしてこの地にいる間ずっと旧友のように接してくれた。この2001年のニヨンの出会いにはもうひとりわたしの映画人生において重要な人物がいる。アルテというテレビ会社のプロデューサーであるルチアーノ・リゴリーニ氏だ。オレリアンと湖のほとりのレストラン街を歩いていると声をかける男がいる。彼がルチアーノなのだが、第一声が「君は自分の映画でどれが一番好きか?」だった。ずいぶんと失礼な男だと思ったので、「どの作品もわたしにとってはとても大切な子供のようです」と答えると、ルチアーノはそれでも「強いて言えばどれだ」としつこかった。わたしはオレリアンに目配せして、無視してその場を立ち去ったのを覚えている。のちに彼は有名なテレビプロデューサーだと分かったが映画を辞めようとしていたわたしには関係のない人だった。それでも「君は映画を創らなければいけない」としつこいルチアーノに嫌気がさして逃げるように空港に向かったが、そんなわたしをルチアーノはシャルルドゴール空港まで追いかけてきたのだ。結局わたしは彼の熱意に負けて、「きゃからばあ」という「につつまれて」の続編を完成させる。そののち10年以上の間、彼とは映画を通して人生を語る唯一無二の存在になった。

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(左)ルチアーノリゴリーニ氏
(右)「きゃからばあ」


 あのレマン湖の出会いには、そういったわたしの映画人生を導いた人たちと、それらをじわじわと醸してゆくこの町の歴史がある。街角で聞いた教会の鐘の音。シャトウの地下にあったワイン蔵で食した晩餐。風に散ったアーモンドの花びら。すべてがわたしの中の昨日のような記憶として鮮明である。





kawase01_00.jpg 河瀨直美
生まれ育った奈良で映画を撮り続ける。
「萌の朱雀」(96)カンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少受賞。
「殯の森」(07)カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
「玄牝-げんぴん-」をはじめドキュメンタリー作品も多数。
自らが提唱しエグゼクティブディレクターを務める『なら国際映画祭』は今年9月14-17日に第2回を開催〈http://www.nara-iff.jp/〉。
奈良を撮りおろした作品「美しき日本」シリーズをWEB配信中〈http://nara.utsukushiki-nippon.jp/〉。

公式サイト:www.kawasenaomi.com
公式ツイッター:https://twitter.com/#!/KawaseNAOMI


「南からの風 in 東京/名古屋」
昨年9月に大型台風の大水害があった奈良県南部。未だ復興作業の続くこの地について、知っていただく機会として映画上映、トークショウ、写真、物産展を開催。
メキシコのペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督が奈良の 十津川村を舞台にした新作映画『祈(いのり)』を国内で初お披露目。
6月24日の東京/ 3331Arts Chiyoda/8月29日の名古屋・ウィンクあいちでの特別上映会&物産展に無料ご招待!
当日は河瀬直美監督のトークショーもあり。希望エリアを明記のうえ、ご応募を。
http://www.nara-iff.jp/projects/post-5.php (なら国際映画祭) 問合せ先:0742-95-5780






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