雑誌『をちこち(遠近)』
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「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」インタビュー・寄稿シリーズ<7>
ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室/文化生態観察 大澤 寅雄さん

2020.11.17
【特集073】

特集「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」(特集概要はこちら)第7回は、福岡・東京・ドイツを移動しながら文化政策やアートマネジメントを研究し、地域文化を「生態系」として観察するニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室主任研究員の大澤寅雄さんのご寄稿です。コロナ下の越境、そしてパートナーであるダンサー・振付家の手塚夏子さんが2020年10月に国際交流基金ケルン日本文化会館で発表したパフォーマンスに見る、私たちの「壁」を越えるコミュニケーションの可能性とは?

見えない「壁」と向き合うための、たどたどしい作法

大澤 寅雄

本題に入る前に、少し私自身の風変わりな事情を説明させていただくと、私はニッセイ基礎研究所というシンクタンクに在籍し、文化政策やアートマネジメントの調査研究を行っています。パートナーは手塚夏子というコンテンポラリーダンスのダンサー・振付家で、2020年に 16歳になる息子がいます。

東日本大震災をきっかけに生活も仕事もスタイルを変えたいと思い、2013年から家族で神奈川県から 福岡県に生活拠点を移しました。研究所は契約形態を変更して今も在籍し続けており、7年間、福岡と東京を往来しながらリモートワークをしてきましたが、2年前の2018年から、手塚夏子と息子はベルリンで生活を開始しました。というのも、手塚のダンス活動のチャレンジとしてベルリンへの移住を決意したのです。当時13歳の息子は母と一緒にベルリンに行くことを選択し、私は引き続き日本に残って調査研究の仕事をしています。以来、ほぼ毎日オンラインの動画通話で安否確認とその日の出来事を話し、夏と冬には、私がベルリンで数週間を滞在することが生活のサイクルになりつつありました。

その矢先での、新型コロナウイルスによるパンデミックです。海外への渡航が制限されて、家族と会えるのがいつになるのか見通しが立たず、7月半ばにドイツ領事館と、入国を管理するフランクフルト空港内の連邦警察署にメールで事情を説明したところ、「If your wife and your son have a valid residence permit, an entry should be possible.(もしあなたの妻と息子が有効な居住許可を持っているなら、おそらく入国できるでしょう)」との返信を受け取りました。

早速飛行機を予約し、家族のビザのコピーを携えて、8月1日に羽田空港を飛び立ち、翌日ベルリン・テーゲル空港に到着。非EU市民が並ぶ入国手続きの列で、私の一人手前にいた東南アジアのある国の男性は、入国管理の職員から長々と質問を受けていました。どうやら複雑な事情があるらしく、私の目の前で別の職員がその男性を別室に連れていったのです。私は、もしここで日本に強制的に帰されることになったらとドキドキしながらパスポートを入国管理の職員に見せると「家族がベルリンに住んでるの? どのくらいいるの?」という質問のあと、あっさりとスタンプを押してくれて、「Have a nice day(良い一日を)!」と言ってパスポートを返してくれました。正直、呆気にとられました。

いま思えば、日本のパスポートはビザなしで入国可能な国や地域の数が世界で最も多いという"強い"パスポートで、私の前に並んでいたあの男性が持っていたパスポートは、おそらくそうではなかったのでしょう。このパンデミック下での国境ので、パスポートが移動の自由を左右した現場に私はいたんです。

日本とドイツでは、コロナへの対応や人々の態度も大きく違っていました。ヨーロッパ諸国での感染者数の多さに比べれば、ドイツは比較的抑制できていたものの、日本に比べればかなり感染者は多いです。ドイツ連邦と各州政府は公共空間でのマスク着用を義務化し、違反すれば罰金が科せられるため、公共交通機関や商業施設など、屋内空間でマスクを着用しない人は基本的にいません。けれども路上や公園や広場など、屋外では多くの人がいてもマスクをしない人がほとんどでした。日本では、3密を避けた行動、屋内では検温や消毒を徹底し、屋内ではもちろんのこと屋外でもマスクをする人が多数ですから、その緊張感からすると、ベルリンの空気感を一言でいえば、かなりゆるいと言わざるを得ません。

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休日の屋外の様子。密集しない状態であれば、屋外でマスクを着用する人はあまりいない

ただ、やはり「ゆるい」と一言ではいえない根本的な文化の違いも感じました。「自粛警察、マスク警察、帰省警察」といった、正義感や不安感から市民が市民を取り締まるという現象が日本で起きていた一方で、ベルリンではマスクの着用義務化に反対する大規模なデモが発生しました。メディアによると、約3万8000人が参加したこのデモには、個人の権利や自由の侵害を訴える人、ワクチンの接種に反対する人、現政府に対する不満をあおる極右勢力など、相当異なる考え方や価値観を持つ人々が、一堂に会して声を上げていたのです。いまの日本ではとても考えられません。

私自身がベルリンで遭遇したマスクをめぐる出来事が2つありました。乗客の少ない地下鉄の静かな車内にマスクを着用していない男性がいて、向かい側に座っていたマスクをしている男性が声をかけました。ドイツ語なので正確にはわかりませんが、所作や言い方からおそらくこんなやりとりです。

マスク男「マスクしねえのか?」
マスクなし男「しねえよ」
マスク男「マスクやろうか?」と紙マスク30枚くらいの束を出す
マスクなし男「いらねえよ。マスクしたくねえんだよ」
マスク男「そうか。じゃあしょうがねえな」

二人の会話は終了し、地下鉄はまた静かになりました。

かと思えば、別の日に遭遇した出来事。Sバーン(地上を走る都心環状線)のそこそこ混んでいる車中で、マスクをしていない男性に、マスクを着用するように女性が注意しました。その後、延々と二人の口論が続きました。内容はよくわかりませんが、二人とも車両全体に響き渡る声量で。最終的に、マスクは絶対に着用すべきだと主張する女性に、マスクをしていない男性は根負けしたようで、次に停車した駅で、そそくさと男性が降りました。

地下鉄での会話も、Sバーンでの口論も、私はベルリンっぽいなあと思いました。他の乗客の目を気にすることなく、また、他の乗客もさほど気にすることなく、折り合いをつけるにしても、衝突するにしても、自分の意見は直接相手にぶつける。私は、声に出さず「空気を読む」という、同調圧力によって行動規範が作られる「日本文化」を、どう説明すればいいものだろうかと考えあぐねていました。

今回、ベルリンに8月と9月の約2カ月滞在したのは、家族と一緒に過ごすためであって、長期休暇というわけではなく、平日は普通に仕事をしていました。先に書いたとおり、コロナ以前からリモートワークをしていましたので、Wi-Fi環境があれば、国内であろうと海外であろうと普通に仕事ができると思っていました。実際、これまでベルリンに滞在して問題はなかったのですが、今回の滞在では少々問題が発生しました。

私がベルリンに到着する1カ月前に、妻と息子は新しいアパートに引っ越したばかりでした。Wi-Fiの契約は済んでいたのですが、1カ月の使用データ量の上限を超えると通信制限がかかって使えない契約内容で、しかもすぐには契約変更できないとのこと。インターネットに接続できないことには仕事にならないので、急きょ旅行者向けのモバイルWi-Fiをレンタルしたのですが、データ量無制限のはずが、すぐに通信制限がかかりました。レンタルした業者に問い合わせたところ、差し替えのSIMカードを送るから待ってくれと。そんなこんなでインターネットに接続できず、そんな時に限って仕事で緊密なメールのやりとりに追われ、ストレスを抱えたことが何度かありました。

その時気付かされたのは、私自身の、そして社会全体のインターネットへの依存です。起床から就寝までの時間で、パソコンかスマートフォンに触れる時間が手離している時間よりも長いのは、私だけではないでしょう。コロナ禍で依存度が高まった人も多いはずです。Wi-Fiとパソコンがあれば自宅で仕事ができる。ネットで注文すれば何でも届けてくれる。離れた人ともオンラインで会える。

コロナ禍で物理的移動が制約され、社会的距離が必要となり、移動の代替や距離を埋めてくれるインターネットの必需性は高まる一方です。とりわけ、国を越境した交流はオンラインへの移行を余儀なくされているいま、そのインフラは、グローバルな情報産業に管理されています。

インターネットを使うということは、日々の行動をネットの向こう側に送り続けているということです。昨日検索した商品の広告が今日も表示され、去年の今日は何をしていたのか、今月はどこに移動していたのか、気になっているニュースが自動的に表示されます。私たちがネットを使っているように見えて、ネットの向こう側のシステムが私たちを動かし、システムに管理、監視、制御されていると言っていいでしょう。それがわかっていても、インターネットへの依存から完全に抜け出すことはできません。

東と西を分断していた壁は30年前に壊され、地球規模で自由に移動ができるようになって、自由に通信ができる。にもかかわらず、世界中で「これがファクト、それはフェイク」という情報に翻弄され、いたるところで分断が生じ、広がり、深まっている。インターネットが分断をあおっていると感じることもあります。

2020年2月にBBCが伝えたところによると、「世界の33カ国で2019年、合計200回以上、意図的にインターネットが遮断されていた」「人権団体によると、ネットへのアクセス制限は国家圧力の決定的な道具になっている」そうです。もしインターネットが突然遮断されたら、私たちは生きていけるのでしょうか。例えば、世界中に新型コロナウイルスの感染が拡大したように、何らかの原因で強力なコンピュータウイルスが拡散され、暴走し、デジタル技術のインフラがダウンし、社会経済のシステムが機能しなくなったとしたら。それが今のような世界規模のパンデミックと同時発生し、移動も外出もできず、生命維持に必要な商品やサービスの生産や流通が停止したら。

私には想像することもできません。2020年、新型コロナウイルスが世界を一変させたことを、つい1年ほど前には想像もしていなかったのですから。でも、生体間のウイルス感染とコンピュータ間のウイルス感染の同時多発パンデミックは、いつ起きてもおかしくないでしょう。そんな時代に分断されたままで、私たち人類は生き残っていけるのでしょうか。

冒頭に紹介したとおり、私のパートナーでダンサー・振付家の手塚夏子は、2018年からベルリンに住んでいます。生活でもダンスの活動でも、基本的には英語でコミュニケーションをしています。ドイツ人も非ドイツ人も、日本人以外は彼女のカタコトの英語にあわせて英語で応対してくれる人がほとんどですが、もちろんドイツ語に向き合わざるを得ない場面があります。ドイツ語の語学学校にも通いましたが、まだ自由には話せません。言葉の壁にぶつかり、もがき、多くの人たちの助けなしでは生きていけないことを、身をもって経験しています。

その手塚夏子が、ドイツで初めての本格的な作品創作の機会を、10月に国際交流基金ケルン日本文化会館に与えていただきました(公演の模様はケルン日本文化会館の公式YouTubeチャンネルで配信中*¹ )。『「壁」と戯れる / Mauerspiel』と題したその作品は、9月に行ったワークショップから創作をスタートしました。ワークショップでは、ドイツ語ネーティブで日本語を話せない人たちを公募し、ドイツ語を話すことができない手塚と、お互い相手の言葉が理解できずに生じる齟齬や誤解を、身体を通して遊ぶゲームのようなものでした。そのゲームを試行錯誤し、言葉の壁に生身の体でぶつかり表現を交換しあうことを舞台上に曝け出すのが、この作品です。この公演の案内で、手塚はこのようなメッセージを投げかけました。

日々変化し、グローバルなソーシャルメディアに覆われる現代世界を生きる一人一人として、コミュニケーションとは一体何か? また、コロナ以降の時代の中でさまざまな制限を受け、生じつつある人との距離感が何をもたらしているのか? を観察しながら、そのもどかしさに悶えつつ「コミュニケーションの壁」とも戯れ、身体がどのようなメディアであり得るのか、さまざまな可能性を模索します。

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手塚夏子『「壁」と戯れる / Mauerspiel』(ケルン日本文化会館にて、写真右が手塚さん)

舞台公演の本番では、エヴェリンさんというドイツ人女性が、手塚とたどたどしいコミュニケーションを展開しました。その「たどたどしさ」は、滑稽でもあり、もどかしくもあります。齟齬や誤解を繰り返しながら、二人の間に、相手に伝えようとする意志によって、言葉の意味以上の価値が生まれているようにも感じます。その価値は、言葉を知らない赤ん坊と親が何かを交感しあっているときに生まれているかもしれません。あるいは、見知らぬ島に漂着して現地の人に助けを求めるような状況でも、もしかしたら生まれるのかもしれません。しかし残念ながら、インターネットでのコミュニケーションでは、生まれようがない価値です。

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手塚夏子『「壁」と戯れる / Mauerspiel』(ケルン日本文化会館にて)

日常の生活や仕事の中で私たちは、誤解や齟齬のない正しい理解を求める一方で、エヴェリンさんと手塚が交わしたような、たどたどしいコミュニケーションは、時間のかかる、非合理的で非効率的で無意味な行為でしかないのだとすると、その世界の住人には「たどたどしさ」の免疫や耐性が失われているのでしょう。果たして正しく言葉が理解できれば、壁は乗り越えられるのか。言葉はコミュニケーションの壁なのか。壁の正体は一体何なのか......と、私たちに問いが向けられている気がします。

人と人も、国と国も「正しさ」だけで相手を理解したり共感できるわけではありません。人によって、国によって、正しさは異なっていて、正しさをめぐって対立し、壁は生じています。コロナ禍で自由な移動が制約され、メディアには虚実ない交ぜの情報が行き交い、デジタルの網の目では、共感が人々をつなぐ一方で、嫌悪や憎悪を餌にしながら目に見えない壁は増殖します。距離を越えて人々がつながるように見えるデジタル技術は、実は人々を孤立化させ、管理し、監視しているのかもしれません。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大によって、そうした時代を私たちは生きていることに気がつかされました。が、新型コロナウイルスが発生していなかったとしても、そのような時代だということに気がつかないまま生きていたのかもしれませんし、感染拡大が収束したとしても、そのような時代を私たちは生きなければなりません。

これからも、目に見えない壁はいくつも立ち上がり、何度も壁にぶつかることでしょう。その時、デジタルの網の目に依存するだけではなく、目に見えない壁に体で向き合って、正しさだけを求めずに、齟齬や誤解をおそれずに、敬意、関心、好奇心を持ちながら、表現を交換する。わからなくても、あきらめずに。これからの越境、交流、創造に求められるのは、そうした「たどたどしい作法」ではないでしょうか。


*¹ 国際交流基金ケルン日本文化会館公式Youtubeチャンネル
『「壁」と戯れる / Mauerspiel』
https://youtu.be/LmwFJY_cY3M

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大澤 寅雄(おおさわ とらお)
株式会社ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室主任研究員、NPO法人アートNPOリンク理事長、日本文化政策学会理事、NPO法人STスポット横浜監事。
1970年、滋賀県生まれ。1994年、慶應義塾大学卒業後、劇場コンサルタントとして公共ホール・劇場の管理運営計画や開館準備業務に携わる。2003年、文化庁新進芸術家海外留学制度により、アメリカ・シアトル近郊で劇場運営の研修を行う。帰国後、NPO法人STスポット横浜の理事および事務局長、玉川大学および跡見学園女子大学の非常勤講師(文化政策論、アートマネジメント等)、東京大学文化資源学公開講座「市民社会再生」運営委員を経て現職。2010年からパートナーであるダンサー・振付家の手塚夏子とともに、日本やアジア各地の民俗芸能をリサーチする「Asia Interactive Research」を展開。2013年、神奈川県相模原市から福岡県糸島市に移住し、地域文化を生態系として観察する「文化生態観察」を実践中。共著=『これからのアートマネジメント"ソーシャル・シェア"への道』『文化からの復興 市民と震災といわきアリオスと』『文化政策の現在3 文化政策の展望』『ソーシャルアートラボ 地域と社会をひらく』。

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