2022.3.25
【特集076】
特集「内なる多様性」(特集概要はこちら)
複数の国にルーツを持つ人々の声や、彼らを取り巻く状況を自身のメディアや研究を通して伝える下地ローレンス吉孝さん。活動を通じて見えてくる今の日本社会の姿とは? ブラック・ライブズ・マター*¹ やフェミニズム等の文脈で注目されている「インターセクショナリティ(交差性)」の概念を手がかりに、他者との向き合い方を問いかけます。
「すでに多様な日本社会の現実と「インターセクショナリティ」という視点」
下地 ローレンス吉孝
「多文化共生」や「国際化」といえば、どういった状況を思い浮かべるでしょうか? 例えば、以下のような場面を想像してみてください。
お昼になったので、友達(あるいは同僚)とご飯を食べ始めた。
自分は朝コンビニで買ったレタスとハムのサンドイッチを食べた。
最近は毎日同じものを買っているけど、飽きが来ない。
お昼を食べながら友達との他愛のない会話がとても楽しかった。
「多文化共生」や「国際化」という言葉は、ともすれば「世界規模の国と国との大きな話で、自分との関係があまり感じられない」といった思いを抱いたり、「なんだか仰々しい言葉で、実感があまり湧かない」と感じることもあるかもしれません。しかし、上記の例え話のように、何気ない日常の一コマ一コマに、あるいはその背景に、実は「多文化共生」や「国際化」といったものの鱗片が潜んでいたりするかもしれません。
もしかしたら、朝のコンビニでサンドイッチを買った時、レジで対応してくれたアルバイトの学生は海外から日本へやってきた留学生だったかもしれない――。そのサンドイッチを工場でパックに包んだのは、あるいはそれらをトラックでコンビニまで配送したのは、定住者の在留資格で日本にやってきた日系南米人だったかもしれない――。そのパンに挟まれているレタスを育てて出荷したのは農家で働く技能実習生だったかもしれない――。そして、今、目の前で話している友達や同僚が、幼い頃に海外から日本に移り住んだ人、あるいは親のどちらかが海外出身の人、あるいは祖父母の世代やそのさらに上の世代が移民ルーツの人だったりするかもしれない――。そんな状況の中で自分が今サンドイッチを楽しく食べているとしたら――。みなさんはどう感じるでしょうか?
こういった状況は決してあり得ない話ではありません。例えば留学生については、日本政府が2020年までに30万人の留学生の受け入れを目指す「留学生30万人計画」を打ち出してきましたが、2019年にはすでに目標の30万人を突破しました。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年には約28万人と前年比10%ほど減少したものの、それでも多くの留学生が日本に暮らし、勉強し、仕事をして人々の生活や日本経済の一部を支えていることがわかります。
また、かつて日本から海外へ移住した人たちの子孫のことを「日系人」と言いますが、高齢化社会への危機感と労働力人口の不足が深刻な問題となっていた日本社会の状況の中、日本政府が1990年に施行した改正入管法で「定住者」という資格が新設されました。そして、その資格によって、南米などから多くの日系2世・3世たちが日本へやってきました。2008年のリーマン・ショックの際、大規模な雇い止めが行われてしまった影響で、失業し帰国せざるを得ない人々もいましたが、それでも日本に長い間暮らして生活基盤も根付いており、日本に暮らし続けている人々もたくさんいます。
日本政府は1993年に「技能実習制度」という、あくまでも「技能を習う」「研修する」といった名目の制度を作りましたが、実際にはこの制度によって多くの労働者が日本へ移民し、仕事をして暮らしています。また、政府は技能実習制度を補完するように2019年に新たに「特定技能」という枠組みも創設しました。外国籍の労働者は年々増加し続けており、近年は新たな制度の拡充によって人口の伸び率も加速しています。2020年10月の時点で外国籍の労働者は1,724,328人*² となり、コロナ禍にもかかわらず過去最高を記録しています。
さらに、親のどちらか一方が日本国籍で、もう一方が外国籍の組み合わせで出生した子どもは近年およそ2万人の規模で増え続けています。2021年時点での出生数では全体の約2%、50人に1人が外国籍と日本国籍の組み合わせで生まれた子どもたち*³ です。こういった両親の国籍の組み合わせで生まれた人々は、2015年の時点ですでに約84万人*⁴ が日本社会に生活していると推計されており、現在その数は増加していることが予測されています。「外国人は外国につながりがある人」、「日本人は外国につながりがない人」と単純に捉えられてしまう場合がありますが、実際には日本国籍者の中には「帰化」によって外国籍から日本国籍に変わった人々も含まれていますし、国際結婚で生まれた子どもの場合などのように日本国籍者でも海外のルーツがある人々もたくさんいます。
「多文化共生」や「国際化」という言葉を聞いて、どこか余所余所しく、自分と関係あるものとして捉えられない人がいたとしても、実は、外国につながる人々が自分の身の回りで一緒に暮らし、働き、学んで生活している。そんな社会で、お互いが見えていても見えていなくても、実質的な関わりをもって生活しているということです。どこか違う世界で起こっている物語などではなく、自分のまさに足元で起きている現実の姿である、ということです。
「日本は単一民族だ」という言葉を繰り返したり、その一方で「移民」という言葉を頑なに使用しないという姿勢をとっている政治家たちもいます。しかし、そういった発言は、統計からも明らかな通り、現実を反映した言葉とは決して言えません。単一だと思われていた「日本人」というカテゴリーの内側そのものが、すでに多様であるということです。多様性とは、「これからどうやって受け入れていこう」といったような、未来の話ではありません。多様性とは、すでに日本社会にある「現実」だ、ということです。あなたと同じ社会に暮らし、生活し、食事を食べ、衣服を買い、仕事をし、勉強をし、外で遊んでいる、そんな一人一人に目を向ければ、すでに多様な現実がそこにあるということです。
国際貢献活動のように、実際に日本から出て海外で活躍することももちろん大切なことだと思います。しかし、「多文化共生」や「国際化」、「多様性」といった時、それが自分とは関係ないどこか遠くで起こっていることと捉えるのではなく、自分の足元から、あるいは自分の中から出発していくことがとても大切だと思います。
私はこれまで、日本社会で「ハーフ」や「ミックス」と呼ばれる人々の経験や歴史について研究を続けてきました。そして、「ハーフ」や海外ルーツの人々の情報発信の場として、「HAFU TALK(https://www.hafutalk.com/)」というサイトを、ケイン樹里安、セシリア久子と私の3名で2018年に立ち上げました。
それまでは、「ハーフ」という言葉を検索サイトで探しても、出てくる情報は、「ハーフ、クォーターの芸能人一覧」や「ハーフ顔メイクの方法」などといったものばかりでした。「ハーフ」や「ミックス」と呼ばれる人々にとって、「自分と同じ経験をしている人がいるのか?」という思いに応えられる情報サイトが全くなかったわけではありませんが、とても少ないのが現実で、そういった情報発信の場を作りたいという思いで、3人で企画を立ち上げました。
「ハーフ」をめぐる経験について、それまでは芸能人やスポーツ選手などの活躍や人生がフォーカスされがちでしたが、華々しく活躍するかれらの経験になかなか自分を照らし合わせられないという現実もありました。そこで、著名人ではなく、市井の人々の経験がどういうものか伝えたい、という思いから、さまざまなコラムやインタビューを掲載しています。
例えば、インタビューにお答えくださった川辺ナオミさん(仮名)は、中学生の頃の経験について以下のような体験を話してくれました。
中学校3年生の時、私1組で、廊下の一番端っこの教室だったんですよ。そこに行くまで他のクラスの前を通らなきゃいけなくて。でも、そのクラスを通る時に、学年の問題児たちが、ドアの付近に立ってたりすると、絶対っていう確率でアフリカ人とか海外の黒人の陸上選手、その時に流行ってるような黒人タレントとかの名前を私が通る時にずーっと言ってくるっていうのがあって。言われることが嫌っていうよりも、それを周りに聞かれるのがすごく嫌で、私の場合は。それを言われている自分っていうのを見られたり聞かれたりするのがすごく嫌で。いつ言われるかがわからない分、極力、教室から出ないようにしようっていうのはあったりしました。
また、自身のルーツを「日本生まれの日本育ちで、父がパキスタン人で、母が関西出身の日本人です」と語るカーン・ハリーナさん(仮名)は、就職活動の面接での経験を語ってくれました。
私の受けたことのある面接はラッキーなことに普通の面接ばかりだったんですけど、ずっと自己紹介が苦手でした。ある面接でも、日本の中学校に通っていたと言わなかったら、「日本語書けますか?」「(履歴書の)字、日本人みたいに上手ですね」って言われたことがあったので。きっと相手からしたら褒めているつもりかもしれないんですけど、日本人に「日本人みたいに字が上手」っていうのは変ですよね。いくら仕事が欲しくても、初めて会った人に両親の出身地を毎回毎回言うことがずっとストレスで、自分がすり減ってく感じがしていました。
「このぐらいの経験、気にしなければいいだけ」と思う人がいるかもしれません。しかし、「日本人」であるか、そうでなければ「外国人」か、といったように、どちらか一方に選別しようとする発想が日本社会に蔓延しているため、その力から日々影響を受け続けているのです。「日本人」と「外国人」は簡単に二分できるものではなく、グラデーションのようにさまざまなルーツの人が日本に暮らしているのが現実です。しかし、「日本人は人種的に単一である」という間違ったイメージが強いため、「ハーフ」や「ミックス」と呼ばれる人々は、「日本人と外国人」という二者択一しか許されない世界観から排除されてしまうのです。
想像してみてください。日本生まれ、日本育ち、日本国籍、話す言葉は日本語という人が、1日1回は見知らぬ他人から「あなたは日本人ではない」というメッセージを受け続けている現実があります。その一言が「小さな」「取るに足らない」ものだと思えるかもしれませんが、毎日毎日、自分自身を傷つける言葉を繰り返しかけられ続けていくと、心の傷はますます深くなっていきます。
私は「HAFU TALK」だけではなく、「ニッポン複雑紀行(https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/)」というサイトでも、編集者や写真家の方と協力し、インタビュー記事を発信してきました。そこでお話をうかがったレジーナさんは自分が抱えてきた経験や悩みを吐露していました。
常にコンプレックスの塊というのが正直なところで。私自身はこうやっておちゃらける人だから「悩みとかなさそう」って思われるみたいなんだけど。でもやっぱりコンプレックスはいまだに自分の中にありますね。もちろんこういう経験をせずに育ったハーフもいると思う。でも私の場合は、子どもの頃は本当に肌のことで色々言われてきたから、本当にそれが嫌で。何か言われても反論できなかった。極端に言ったら漂白じゃないけど、色を白くしたいって思ってて。今はそうは思わなくはなったんだけど、周りからの目線が気になる時はある。「気にしなきゃいいよ」って言われたらそこまでなんだけど、でもやっぱりそれで嫌な思いしてきた私にとってはやっぱり気になっちゃうよね。
両親のどちらか一方が海外ルーツの人だけではなく、世代をさかのぼって親族のつながりの中に海外ルーツのある人々も日本には多く暮らしています。私と同じクォーターである黒島トーマス友基さんからは、米兵であったおじいさんと出会ったおばあさんの人生、「ハーフ」として厳しい時代を生きたお父さん、そして「なにわのアメラジアン」(アメラジアンは、アメリカとアジアの合成語)として生きる自分自身の三世代にわたるお話を聞きました。
トーマスさんと同じように、私の祖父も米兵でした。沖縄で祖母と出会い、母が生まれました。「ハーフ」と聞くと、若い世代の人々を思い浮かべる人も多いと思います。しかし、戦後の日本社会で母のような子どもたちは多く生まれ、かれらも今は60歳から70歳ぐらいの年齢に差し掛かっています。母は今でも、マンションの清掃員として働いています。
あなたが住んでいるマンションの清掃員の人、あなたが朝ご飯を買ったコンビニの店員さん、道ですれ違った人、同僚や友達など...。あなたの身の回りにいる一人一人は、歴史的にも社会的にもさまざまなバックグラウンドをもって生活しているかもしれないと想像することは、現実の複雑性を理解することにつながっていきます。目の前の人が「自分と同じ」と認識して違いに目を瞑るのではなく、目の前の人が「自分と違う」という前提に立ってコミュニケーションすることが、社会の多様な現実を見つめる第一歩ではないでしょうか。
母は日本生まれ、日本育ちで、日本語しか話すことができません。しかし、その見た目によって、周囲の人々からは70歳を過ぎた今でも、「日本語上手ですね」「日本に来て何年ですか?」と言われてしまうといいます。70年の月日が流れても「日本人」の一人として認識されていない現実があるということです。このように「日本人か外国人か、そのどちらか一方だけ」といった二項対立的な発想はまだまだ強いですが、現実には複雑で、多様な人々が暮らしているし、これまでも暮らしてきたということです。そういった複雑で多様な一人一人の存在によって形作られているのが日本社会です。
日本社会に暮らす一人一人が複雑で多様なのは、なにも海外ルーツという軸だけに限られたことではありません。そこには、ジェンダーやセクシュアリティ、人種、民族、先住民性、年齢、地域差、階級や経済状況、国籍や市民権の状態、宗教や文化など、さまざまな要素が交差しながら現実の複雑さが形作られています。例えば同じ「日本人」というアイデンティティを持っていたとしても、それぞれの年齢によって経験に大きな違いが出てきますし、ジェンダーやセクシュアリティによってもそれぞれかなり異なる状況に直面していきます。世帯の経済状況や、人種・民族的なバックグラウンド、都市・地方での居住などでも直面する社会問題の位相はもちろん大きく異なっていきます。これらのさまざまな要素が交差する現実の中で、個人一人一人の社会的立場や、社会の構造が形作られているということです。
そういったさまざまな要素が重なったり相互に影響を与えたりする複雑な現実を、おおまかな図式に当てはめて単純化して理解するのではなく、複雑なものを複雑なまま見ていく、そういった姿勢によってさまざまな要素の交差に着目する概念が、インターセクショナリティ(交差性)という考え方です。先日出版されたこの概念の日本初の概説書『インターセクショナリティ』(パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ、小原理乃訳、人文書院)では監修と解説も行いました。さらに詳しく知りたい方はぜひ書籍をご覧いただければと思います。
この言葉が定着する大きなきっかけとなったのは、米国のブラック・フェミニストであり法学者であるキンバリー・クレンショーの論文です。クレンショーは、これまで黒人運動の中でジェンダーの問題に焦点が当たってこなかったこと、そしてフェミニズムの運動においてこれまで人種の問題に焦点が当たってこなかったことによって、それらの交差点(インターセクション)の位置にいる黒人女性たちの経験が無いものとして扱われてきたことを、インターセクショナリティという言葉によって的確に説明しました。インターセクショナリティとはこのように、交差的な社会的立場にいることによってこれまで見えなくされてきた人々に焦点を当てる概念であり、同時に、社会構造においてジェンダーや階級や人種といった要素が複雑に交差し影響し合うことによって抑圧や差別が形成されている現実を捉えていくための概念です。
この概念はブラック・フェミニズムの領域を超え、さまざまなマイノリティ女性運動に取り入れられていき、現在は社会学全般に広がるだけではなく、国連での人権をめぐる議論や、環境問題、保健衛生の領域、災害研究の領域など、さまざまな分野に適用・応用されています。日本でもこの言葉が現在浸透しつつあり、さまざまな問題をこの概念によって解き明かそうとする研究やイベント活動が現れてきました。
先ほどの例で登場したナオミさんは、インタビューの最後にこのように語ってくれました。
私は、教育現場に携わる人に、多様な人がいるんだっていうことを、人種的にも、セクシュアリティ的にも、宗教とか、本当に多様な人がいるんだよっていうことを知ってもらいたいっていうのは思っていて。一人一人がみんな特別で素敵な存在であるはずなので。たしかに私たちは人種的には違うかもしれないけど、私たちだけが特別なわけではないから、特別に扱ってほしいわけではなくて、普通に、というか、一人の人としてちゃんと扱ってほしいっていうか。運動神経がいい人もいれば、頭の良い人もいるし、背が高い人もいれば低い人もいるし、左利きもいれば右利きもいるし、みたいなそういうのの一個としてみてくれる社会が必要だなっていうのを思います。特別なものとしてみるのは、もう終わりにしてほしいなっていうのはすごく思います。一人の人間として、あなたと同じように日本で生まれて育ってるんですよって。
ナオミさんのメッセージはインターセクショナリティのアイデアをとてもわかりやすく示しています。つまり、さまざまな要素が交差する中で、多様で複雑な一人一人が、隣り合わせでこの日本社会で生きているということです。
日本には在日コリアンや、アイヌの人々、セクシュアル・マイノリティあるいはLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア・クエスチョニングの略)と呼ばれる人々、沖縄の人々、「ハーフ」や「ミックス」などと呼ばれる人々、人生の一定の期間を海外で過ごした帰国生たち、被差別部落出身の人々、「障害」のある人々、「アルビノ」と呼ばれる人々など、さまざまなルーツや立場の人々が暮らしています。さらに、インターセクショナリティを通してみると、高齢の在日コリアン女性や、障害のあるアイヌの人々、沖縄に暮らすセクシュアル・マイノリティ、貧困状況にあるブラック・ハーフのシングルマザーなどといったように、これまで大きなカテゴリーの中で見えにくくされてきた一人一人の経験が浮かび上がります。その一人一人の声に耳を傾けていくことがとても重要です。
そういった多様な人々がいる現実の中で、「相手を尊重する」とはどういう態度を意味するでしょうか? 多様な人々を尊重するためのスローガンとして、例えば「国の違い、人種の違い、ジェンダーの違いを
インターセクショナリティのアイデアは全く逆の態度をうながします。つまり、相手との違いを「超え」たり、「無いもの」にしたりするのではなく、違いを違いのままとして認識し、その違いに向き合っていこうとする姿勢です。
差異を超えてしまったり、忘れたり、考えないようにしたりするのではなく、相手の差異と向き合って、そしてそこからどうやって一緒に取り組んでいけるのかという姿勢が大切で、それが相手を尊重するということです。
また、多様であり、複雑であるのは、「他人」だけの話ではありません。自分自身を振り返ってみた時、ある場面では自分はマジョリティとして特権的立場にあり、また別の場面ではマイノリティとして抑圧や不平等な位置に立たされていたりすることがあります。自分自身の中にある多様性や複雑性を見つめ直した時、相手との間にある差異ともまた違った形で向き合うことができるでしょう。
これまでお伝えしてきた通り、この日本社会はすでに多様で複雑な人々が暮らしています。さらにグローバルな人々の行き来のなかで、今後も多様化が進んでいきます。そして、インターセクショナリティという考え方によって、今まで見えてこなかった交差性や複雑な部分も明らかになり、これまで聞かれてこなかった人々の声が届けられるようにもなってきました。
「国際化」や「多様性」とは、どこか遠くの世界で起こっていることなのではなく、あなたのとなりにいる人との間から、あなたの足元から、そしてあなた自身を見つめ直していくことから始まっていくものかもしれません。
(註)
・本記事では「障害は個人の側にある」という「個人モデル」「医学モデル」ではなく、「障害は社会の側にある」という「社会モデル」の立場を念頭に置き、「障害」と表記した。なお、ユニバーザルデザイン事業を展開する株式会社ミライロは「障害者」表記を使用する理由として、「『障がい者』と表記すると、視覚障害のある方が利用するスクリーン・リーダー(コンピュータの画面読み上げソフトウェア)では『さわりがいしゃ』と読み上げられてしまう場合があるため」とも説明している(参考 https://www.mirairo.co.jp/company)。
【参考文献】
下地 ローレンス吉孝『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社、2021年)
下地 ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)
パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ、小原理乃訳『インターセクショナリティ』(人文書院、2021年)
2022年3月寄稿
写真はすべて本人提供