雑誌『をちこち(遠近)』
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体をさらして感じること

本谷有希子(作家・演出家)



  ドイツ・フランクフルトにて2014年10月に開催された「第66回フランクフルトブックフェア」に伴い、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、作家・演出家の本谷有希子氏を派遣し、短編小説「トモ子のバウムクーヘン」の朗読会およびフランクフルト大学日本学科で日本演劇などを研究しているリーザ・ムント氏との対談を2日間にわたって行いました。現地では「日本の女性」について高い関心が寄せられており、朗読会でも同テーマについて興味深い質疑応答が行われました。
 本谷氏が、朗読会と対談を通じて体験した現地の小説読者とのふれ合いを振り返り、エッセイを寄せてくださいました。

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ベンチを埋めてくれていたお客さんたちが、配布された小冊子を開き、私の声に耳を傾けながら、黙読をし始めた。
 小さな、たった数ページほどの冊子だが、この日のためにドイツ語に訳された、私の掌編「トモ子のバウムクーヘン」の全文が掲載されている。私はそれを雑誌掲載時のままの日本語で読み上げていく。あらかじめ決めてあるパートまで読み終えると、今度は対談相手のリーザ•ムントが同じ箇所をドイツ語で辿っていく。
 私とリーザは、昨日、すでに近くの工芸博物館で、同じ内容の朗読及び対談イベントを終えたばかりだ。博物館に来場してくれた人々の客層は年齢も高く、みな日本の文学に興味を持ち、こちらが驚くほど熱心に最後まで耳を傾けてくれた。だが、2日目のイベントとなる今日は、世界で最大規模と言われるフランクフルト•ブックメッセの会場の一角。しかも、各国のさまざまなブースがひしめきあうすぐそばの、オープンスペースである。私達は昨日の反省を生かし、なるべく理解できない言葉による朗読の時間が短くなるよう、テンポよく朗読個所を構成し直したつもりだったが、やはり客席は流動的で、少しでも停滞すると、あっという間に席を離れてしまう。そんな中、まだ著作がヨーロッパ圏で出版されたことのない日本の作家から、どんな話が訊きたいのだろう、と残っている人々を盗み見ながら、私は「トモ子のバウムクーヘン」の朗読を終えた。
中盤は対談。このパートに関しては、リーザ氏が細かく具体的な質問をあらかじめ用意してくれていたので、私は昨日のように、それに答えればいいはずだった。だが、やはり生きている人間が相手だ。そうすんなりいかない。会場の雰囲気に感化され、どんどん話は逸れていく。たとえば、昨日は(見慣れたはずのものをじっと見ていると、突然、それらがまったく知らない怖いもののように見えてくる感覚)について、私達は念入りに話したのに、ライブであることをより強く実感するこの場所では、(生身の体の感覚がなくなっていくこと)について、知らず知らず話が引き寄せられていく。

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  「トモ子のバウムクーヘン」は、平凡な主婦がある昼下がりに、自分達の世界を覆っている薄い一枚の膜の存在に気づき、自覚する、といった内容の掌編である。私は「生身の身体が感じられないから、トモ子は今とりまく世界が急に見知らぬもののように感じられるのだ」と話した。すると客席から「それは日本人特有の感覚か」という質問があがり、私は戸惑った。実は昨日も、少しこれに似た質問があったからだ。年配のご夫人が「それは自分の意見を押し殺さなければならない、日本の女性特有の感覚なのではないか」と私に尋ねたのだった。
 しかし、本当にそうなのだろうか。私は日本にしか住んだことがないし、他の国のかたが何をどう感じているかは想像することしかできない。私自身、海外の小説を読んで、自分の価値観とはまったく異なるカルチャーショックを楽しむことがあるのだが、今、質問者の方々は「そのように読んでもいいのか」と私に確認しているのだろうか。彼らは、そう読みたいのであろうか。私は「日本人の感覚だけに留まるような書き方をしたつもりはありません。どうか、線引きすることなく想像をしてほしい」というような内容を伝えた。理解してもらえるか心配であったが、彼らは皆、目の前の日本の作家の言葉を真剣に受け止めてくれたように見えた。これこそ、お互いの生身の体がさらされていることによる力だと、私は思う。小説を通して繋がることも大切だが、私達はあまりにお互いをよく知らない。どんな人間が書いたのか。そこから関心が芽生えてもいい。今回はほんの短い時間の滞在だったが、私にとっても、世界中の小説の読者の体を目の当たりにすることのできた、非常に興味深い経験になった。

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yukiko_motoya04.jpg 本谷有希子(もとや・ゆきこ)
1979年7月14日生まれ。石川県出身。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手掛ける。2006年上演の『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。2008年上演の『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞を受賞。小説家としても活動し、2011年に『ぬるい毒』(新潮社)で第33回野間文芸新人賞を受賞。2013年、『嵐のピクニック』(講談社)で第7回大江健三郎賞、2014年には『自分を好きになる方法』(講談社)にて第27回三島由紀夫賞を受賞した。




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