雑誌『をちこち(遠近)』
バックナンバー

バックナンバー一覧

国際交流基金の関連事業

東日本大震災からの復興経験をオーストラリアで語る

NPO法人ユースビジョン 代表
赤澤 清孝



オーストラリアにて、2012年2月21日から25日までの5日間の日程で、「災害復興と人々のつながり」をテーマに、メルボルン、シドニーの2都市を巡回するパネルディスカッションに参加しました。

東日本大震災の発生から1年という節目を控え、様々なイベントの準備で慌ただしい時期ではありましたが、「発災から1年間の活動を一度、整理しておきたい」、また「今回の大震災が海外でどのように受け止められているかを知りたい」という思いもあり、パネリストを引き受けました。
パネルディスカッションは、私の他、ニューサウスウェールズ州(NSW州)の消防救助隊のロブ・マックネイル(Rob McNeil)とアンドリュー・マクナマラ(Andrew McNamara)氏、オーストラリア国立大学で近現代日本政治思想史を研究されているリッキ・カーステン(Rikki Kersten)教授の計4名。

豪の消防救助隊員の経験談
マックネイル氏からは、オーストラリア政府の要請を受けてNSW州消防救助隊が、震災直後に76名の捜索救助隊として南三陸町に赴き、そのタスクフォースのリーダーとして救援活動を実施した様子が報告されました。
日本の消防士チームと連携して、倒壊家屋や流された車に残された犠牲者の捜索を行うなど、発災直後の厳しい環境の中で、任務を全うされました。また、マックネイル氏は「日本の自衛隊や消防が献身的に災害復旧業務を行う姿に敬服した」と述べました。
マクナマラ氏は、2011年11月に国際交流基金が主催したJENESYS次世代リーダープログラム 「防災と人々のつながり : 災害に強い社会の構築を目指して」のメンバーとして来日し、1995年の阪神・淡路大震災および東日本大震災での災害への対応を学んでいます。その報告では、研修で訪れた岩手県の釜石市の被害の状況の詳細について紹介しました。世界最大級の堤防をもってしても防ぐことができなかった津波の恐ろしさとともに、過去も同地で大きな津波被害があったことに触れ、「人々がその教訓をなぜ活かせなかったのか、強大な堤防があることが、逆に危機感を削いでしまったのではないか」、また「災害を防ぐためにはハードだけでなく、一人ひとりが災害から身を守る意識や術を身につけることが重要だ」と述べました。

sydney_akasawa02.jpg アジア・大洋州地域で防災に携わる行政官、教育者、NGO職員、ジャーナリスト、研究者、コミュニティーリーダーらと東日本大震災及び阪神・淡路大震災の事例を学んだ経験を語るアンドリュー・マクナマラ氏

復興まちづくり活動の事例報告
マックネイル氏及びマクナマラ氏と2人の報告を踏まえ、続いて、私から日本の状況を報告。避難者の生活は、避難所から仮設住宅へと移行してきていること、外部のボランティアによる支援から、徐々に地元の人たちによる復興まちづくり活動が始まってきている様子を紹介。また、事例のひとつとして、「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト」を紹介。被災者の中には、障がい者や、難病患者、妊産婦、アレルギー患者など、避難先での避難生活が特に厳しいと人々もおり、こうした人たちに対して、NPOや専門機関が迅速に対応できるよう、避難所や仮設巡回を巡回してニーズのアセスメント(調査)を行い、NPO等に情報提供やマッチングを行った例などをお伝えしました。

sydney_akasawa03.jpg 避難先での避難生活が困難な被災者と適切な支援団体のマッチングを行った状況などを報告する筆者

最後に、カーステン教授が、日本政府が災害にどのように対応したかを紹介しました。政治家と官僚が一体となって復旧、復興に取り組むべき時期に、民主党政権で菅直人という、官僚と対峙するスタンスの政治家がトップであったことが、迅速な対応を阻んだのではないかという見解を示されました。

防災への高い関心とオーストラリアから日本への連帯
会場からの質疑では、「オーストラリア国内でこうした災害の発生時には、国、州政府や消防救急隊はどのような対応をするのか?」、「建物の倒壊は防げるのか」など、自らが災害からどのように身を守ることができるのかについても、高い関心があることを感じました。また、「オーストラリアから市民ができる支援が何か」など、遠く離れた日本への支援を、これからも続けたいという声も数多くいただき、たいへん嬉しく思いました。

多文化共生社会のオーストラリアを体験して
メルボルン滞在中には、パネルディスカッションの時間の合間を縫って、短い時間でしたが、市内観光にも赴きました。まず、印象的だったのは、街を行き交う人々の多様性です。様々な民族、国籍の方が、思い思いのファッションで街を闊歩し、大通りには、ヨーロッパ、アジアなど、テイストの異なるお店が混在して軒を連ねていました。オーストラリアは、外国人受入れの歴史が長く経験も豊富で、多文化共生社会が進んだ国とは聞いていましたが、まさにそんな感じです。旅行者である日本人の私も、その風景にうまく溶け込めたようで、不思議と居心地がよかったです。
また、物価の高さにも少々驚きました。ドリンクやフードなどの値段は、感覚的には1.5倍くらいでしょうか。でもその分、量が多い!フードは、思っている量の2倍くらいあります。ヤラリバー河畔のカフェでは、ビーフサンドを2人で食べたのですが、添えられたポテトが山盛りで、2人がかりでも食べきれませんでした。毎日、これだけ食べたら身体も大きくなりますね。
夕方になると、仕事帰りの人たちが街中のカフェやバールで歓談したり、スポーツなど趣味に興じている姿をたくさん見かけました。ボランティア活動に参加している人も大勢いるそうです。日本では、まだまだ残業や休日出勤も当たり前ですが、労働と自己実現を結びつけすぎず、ある種の義務として割り切りつつ、残りの時間を自分の時間を好きやことや、地域のための活動など自己実現できる社会の方が、多くの人が楽しく暮らせる社会になるのではないかと、ふと、考えさせられました。
最終日のシドニーでは、スケジュールの関係でほとんど観光できなかったのですが、パネルディスカッションの会場だったBlake Dawsonのオフィスから、シドニー湾を眼下に見渡すことができ、街と自然が織りなす景色に感動しました。
短い滞在ではありましたが、オーストラリアの人々の日本への思い、そして文化や自然に触れたれた素晴らしい5日間でした。


sydney_akasawa04.jpg



sydney_akasawa01.jpg 赤澤 清孝 1974年兵庫県生まれ。1995年、阪神・淡路大震災に遭遇。学生や若者によるボランティア活動の意義や可能性を感じ、翌年、学生有志できょうと学生ボランティアセンター(現・ユースビジョン)を設立し、代表に就任。 学生のボランティア活動支援や、施設、NPOへのボランティアマネジメント支援に取り組む。東日本大震災では、NPOの専門性を活かして被災者、被災地を支援する「被災者をNPO とつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」と、岩手県に日本全国から学生ボランティア1000人を送り出す「いわてGINGA-NETプロジェクト」にて事務局長を担当。 ブログ:http://blog.canpan.info/akazawa/ Twitter:https://twitter.com/#!/akazawak



Page top▲

Twitter - @Japanfoundation