雑誌『をちこち(遠近)』
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南三陸とチリ はるかな友に心寄せて高校生が贈り合った詩と歌

ケコ・ユンゲ
(シンガーソングライター、「挑戦、立ちあがろうチリ」文化・スポーツ部長)



 17,000kmにもおよぶ太平洋の海が、チリのコンスティトゥシオン市と宮城県南三陸町の両岸を隔てている。そして、この二つの町の間には、太平洋の満々とした水のみならず、長い歴史を持つ日本に対して国としては若いチリ、国土面積や人口、人種や宗教、文化、経済発展の度合い、生活習慣や食事にいたるまで、非常に大きな違いも横たわっている。



チリの日本大使館からの1本の電話
 2012年10月、私が住んでいる、チリの首都・サンティアゴにある日本大使館から電話がかかって来た。私が所属し、文化・スポーツ部門のリーダーを務めている非営利団体「挑戦、立ちあがろうチリ」の活動について詳しい話を聞き、国際交流基金と文化プロジェクトを共催する可能性について話し合いたいという面会の申し込みだった。大変興味深いミーティングの数日後、このプロジェクトのパートナーとして、我々が選ばれたとの知らせを受けた。

 違いが大きいと書いたチリと日本であるが、地震と津波で被災し、復興を遂げたという共通項を持っている。1960年のチリ地震による津波は三陸沿岸に到達し、南三陸町や岩手県大船渡市などで142人が犠牲となった。復興を遂げた両国友好の印として、1991年、南三陸町にモアイ像のレプリカが設置されたが、2011年の東日本大震災により破損してしまった。2012年3月末に来日したチリのピニェラ大統領は同町を訪れ、新たなモアイ像の寄贈を約束した。(編集部注:イースター島の職人が制作した高さ約3m、重さ約2tの本格的なモアイ像は、東京、大阪での特別展示を経て、間もなく同町に寄贈される。)
 また、チリでは、2010年にも大地震が発生し、525人が犠牲となった。チリ全土で37万戸の家屋が被災。サンティアゴの南西340kmに位置するコンスティトゥシオン市では、約4分間続いた地震と、その後の津波(推定15m)により104人が犠牲となった。

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コンスティトゥシオン市

 このような、チリと日本の災害からの復興という共通課題に着目し、国際交流基金が考案したアイディアから生まれたこのプロジェクトの実現に向け、具体的な意見交換が直ちに始まった。それは、とても素敵なアイディアだった。
 二つの町(コンスティトゥシオン市と南三陸町)の高校に通う16歳と17歳の生徒たちが、自分たちの国で起きた地震や津波の体験を通して、それぞれの気持ちや考えを文学作品(日本では詩、チリでは物語)に仕上げて交換し合うというものだ。
 このプロジェクトは、被災地に生きる若者たちが自分自身の体験を表現することができるように支援する、という目的で始まった。日本では南三陸町の志津川高等学校2年4組の生徒38名、チリではコンスティトゥシオン市のガブリエラ・ミストラル校3年B組の生徒45名が参加することになった。



「ヒトデ」と「蝶」のコラボレーション
 私はすぐにこのプロジェクトに確信を抱いた。互いに遠く離れた異国に住む若者たちが、自分たちの体験を通して、経験やビジョン、考えや気持ちを分かち合う、非常に興味深く、同時に美しい企画だと思った。自然の力(地震と津波)の被害を受け、衝撃的に崩壊した日常生活、情緒的および物質的なものを失った後の苦しみは、決して自分ひとりが体験したことではないと、何らかの方法で理解してもらえるような手助けをする。そして、設立からまだ3年という若い財団「挑戦、立ちあがろうチリ」にとって、長年にわたり数多くの文化交流事業に携わっている国際交流基金と共同で仕事ができるのは非常に光栄なことでもあった。私自身、国際交流基金のロゴがとても気に入っていた。美しい蝶!! ちなみに、我々のロゴはヒトデである。非常に魅惑的なイメージを持つヒトデと蝶。また、個人的なことではあるが、私は、若い頃から日本の文化や、物事に対する日本人の姿勢を高く評価していた。私たちが学ぶべきものは非常に多かった。

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「挑戦、立ちあがろうチリ」と国際交流基金のロゴ

 しかし、我々の団体には、このプロジェクトを実施するための十分な予算はなく、私自身にとっても大きな挑戦が始まった。心に決めたのは、最大限できることをする。そして、若者たちや大きな苦しみを経験した町の人々のために本当に役立つことをして、愛情のこもったメッセージを両国に残すための手助けをする、ということだ。
 「挑戦、立ちあがろうチリ」と私ができることは、時間、アイディア、前向きなエネルギー、想像力、ネットワーク、歌(私自身、ポップ・ミュージックのシンガーソングライターであるため)、チリでのイベントの総合プロダクションと情報の普及に必要なマスメディアに対する広報活動などの提供である。
 私たちはこのような状態からスタートし、全てがより大きなものへと発展していった。



チームの結成
 東京にある国際交流基金から最初の情報が届くようになった。制作や音楽の分野で一緒に働くことになる担当者の名前が知らされた。国際交流基金を代表して松本健志さん、在チリ日本大使館を代表して西雅之さん。日本側の詩に曲をつけるのは民謡ユニットの法笙組、ギタリストの佐藤正隆さんとプロデューサーの吉川由美さん。
 同時に私は、コンスティトゥシオン市の若者たちと物語の創作に取り組み始めた。そのために、何度か彼らと直接会って、物語の創作に対する彼らのモチベーションを高めようと働きかけた。物語は地元の作家、フアン・ムニョスさんが実施したワークショップを通して生まれた。その他に私は、物語の内容が含まれた曲を作成する、という責任も担っていた。このように最初の数週間が過ぎ、ようやくプロジェクトが具体化してきた。チリの生徒たちが夏休みに入る前に企画を進めなければならないため、私たちは急いで行動した。日本では6つの章からなる詩が完成し、チリでも7編の物語が出来上がった。その内容は驚くべきものだった。

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コンスティトゥシオンでのワークショップの様子

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南三陸でのワークショップの様子

 冒頭にも述べたような様々な相違点があるにも関わらず、両国の若者たちが書いた詩や物語には見事に同じような考えが表現され、ストーリーの中や隠喩などで用いられた自然界の事物も同じだった。大きな被害をもたらした海を、若者たちは尊重し、敬った。苦しみ、恐怖、喪失感、孤独、失望などの気持ちも同じだった。所有するモノ以上に、命を尊重する気持ちが力強く表現されていた。また、彼らの作品において希望も重要な要素であり、未来、立ち上がる、再び夢を見る、飛ぶ、生きるなどの思いが記されていた。
 様々な違いがあったとしても、人間が持つ感情はみな同じであることを私たちは証明することができた。ダライ・ラマの著書で読んだこの内容を、実際に確認することができ、私は感激した。



コンサートの実現に向けて
 我々の次のステップとして、2012年11月、高校生たちの詩や物語のメッセージを汲み取った歌を紹介するコンサートの実施が決まった。コンスティトゥシオン市と南三陸町の両方でコンサートを開催する。さらに開催の日は津波がそれぞれの町を襲った日。つまり、特別な思いを想起させる日に開催することになった。
 様々な分野においてより多くの支援を得るため、私は迅速に動き始めた。両国の若者たちの努力、そして2つの町に住む人々の思いを考えると、大きなプロジェクトにする価値は当然あった。そして、国際交流基金の松本さんが初めてチリに出張した際には、コンスティトゥシオン市を一緒に回って、コンサートの実施が可能な様々な場所を自分たちの目で確かめるとともに、犠牲者を追悼する象徴的な場所なども訪問した。コンスティトゥシオン市のカルロス・バレンスエラ市長とも面会し、市長は、市民の心の痛みを和らげるための貴重な贈り物となるよう、市役所がコンサートの実施を全面的に支援すると約束してくださった。
 サンティアゴでは、チリ軍警察文化事業団とのミーティングがあり、同事業団はプロジェクトへの参加を即座に決めてくれた。彼らが管理している素晴らしい劇場でのコンサートの実施、さらにチリ軍警察楽団の共演も決まった。チリ軍警察楽団の参加により、コンサートの音楽的水準や厳粛さが一層高まった。松本さんが出張を終え、日本に帰った後も、我々は在チリ日本大使館とともに、チリでのコンサートを最高のものにするため、努力を続けた。

 準備に夢中になっているうちに、時が過ぎ、2013年2月下旬、日本側で曲づくりに協力した東北ゆかりのアーティストたちが、志津川高校2年4組の心のメッセンジャーとしてチリにやってきた。私は、ギタリストのティト・ペソアさん、バイオリニストのローラ・ブライヤーさんを共演者に迎え、ガブリエラ・ミストラル校3年B組の生徒有志とともに、彼らの思いが込められた新曲を披露することにした。
 2013年2月27日、コンスティトゥシオンのマウレ河畔の特設ステージで、続く3月1日にはサンティアゴのカラビネロス劇場で、チリ大地震3周年追悼コンサートが開催された。今回のプロジェクトについて書きたいことは山ほどあるが、このプロジェクトに参加したアーティスト、主催者、リーダーたちの間に生まれた友好関係を特に取りあげたい。音楽的な面において全員で協力し合う姿勢、日本語とスペイン語という2つの言語で歌を歌い、舞台を分かち合う。日本とチリの被災地の若者たちの心を届けることに専心する。素晴らしいことに、このプロジェクトでは、各自のエゴは捨て去られ、関係した全ての人が音楽的な能力に加え、人間としての良さを充分に出し切ろうとしていた。
 続いて、日本での演奏のため、国際交流基金は私と私の共演者をチリから日本に招待した。

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コンスティトゥシオンのマウレ河畔の特設ステージでのコンサート

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サンティアゴのカラビネロス劇場でのコンサート



南三陸町、そして東京で
 日本に滞在した12日間に数えきれないほどの経験をした。最も感動的で光栄に感じた出来事は、南三陸町で歌うことができたことである。即興で歌うことになった漁師さんのお祭り、3月11日に南三陸町総合体育館で行なわれた東日本大震災2周年追悼式、その翌日に町民や犠牲者のために開かれた日本-チリ交流コンサート。みんなの愛情、敬意、感謝の気持ちが伝わって来た。

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追悼式の様子(撮影:相川健一)

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交流コンサートの様子(撮影:相川健一)

 知らない人も私を家族のように歓迎し、私の心は、町の人々のお陰で幸せに満ちていた。できれば何度でもこの町を訪れ、もっとみんなと一緒に時間を過ごしたい。そして、運命が一瞬にして全てを奪い去り、心が傷ついた後でも、集団として団結し、再び立ち上がるための秘訣を学びたいと感じた。
 日本滞在の最後は、東京で開催された事業報告会&ミニコンサート。私の家の壁には、根本匠復興大臣の署名入りの、日本語で書かれた感謝状が飾られている。私は日本語が読めないが、翻訳文があるので意味は理解している。この感謝状を見るたび、出会った全ての人々のぬくもりを思い出す。あの入り江や丘や森などで一緒に時間を過ごした人々のこと、漁師さんたちのこと、南三陸町の伝統芸能の一つである、行山流水戸辺鹿子躍の保存に力を尽くしてきた村岡賢一さんのこと、初日に訪問したご家庭のこと、レストランの方々、追悼式で一緒に歌を捧げた志津川高校の生徒たち、温かくもてなして下さったホテルの女将さん、南三陸町の佐藤仁町長、震災直後の避難所となったお寺のご住職、法笙組のメンバー、佐藤正隆さん、南三陸町での滞在を細やかにアレンジしてくれた吉川由美さん、終日つききりで通訳をしてくれたパトリシア(小川かなえ)さん、全てを写真や映像に記録してくれた関係者、より良い世界のために日々働いている国際交流基金の素晴らしいスタッフ。みんなのことを思い出し、感情がこみ上げる。

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東京で開催された事業報告会&ミニコンサート(撮影:相川健一)



新しい友好関係から始まる未来
 小さな活動でも、活動を続け、その連鎖によって大きな効果をもたらすことができる。特に、情熱や愛情をもって行なう活動、相手がより良い生活を送ることができるようにするために行なう活動がもたらす影響力は、なおさら大きい。そのことは、このプロジェクトが証明している。
 一連の活動で、我々はチリで2回、日本で3回、合計5回のコンサートを実施し、国内外のテレビや新聞などで多数の報道がなされ、政府関係者の参加も得られた。新しい友好関係を築くことができ、国際交流基金、「挑戦、立ちあがろうチリ」、在チリ日本国大使館、チリ軍警察文化事業団、コンスティトゥシオン市役所、駐日チリ共和国大使館など、多くの組織の協力を得ることができた。
 そして、最も重要なことは、近い将来、被災地の再建を担う若者たちが自分の気持ちを表現し、太平洋を越えて体験を分かち合うための手助けができたこと、非常に辛い体験をされた方々の心に少しでも寄り添うことができたことである。 コンスティトゥシオン市でのコンサートの後、ある女性が私のFacebookのページに次のようなコメントを書いてくださった。「心も身体もすでにこの世には存在しないけれども、私たちの心にいつまでも生き続けるマウレ地方の兄弟姉妹のために行なわれた、この感動的な追悼式の開催を心から感謝いたします。歌っていると、心の痛みは軽くなります。ありがとうございます。」

 親愛なる私の新しい友、松本さん、西さん、私たちは皆で一緒にやり遂げた!世界を少し動かすことができた。素晴らしい機会をありがとう!



(原文はスペイン語 翻訳:小川かなえ)





minamisanriku_chile01.jpg ケコ・ユンゲ(Keko Yunge)
1962年、サンチャゴ生まれ。シンガーソングライター。1984年のデビュー以来、数々のヒット曲を発表したチリの国民的な歌手として知られる。これまで9枚のアルバムを発表、過去20年間のヒット曲を収録したベスト版アルバムはチリのレコード大賞を獲得。カナダ、エクアドル、ペルー、アルゼンチン、スペイン、ウルグアイなど、海外公演の経験も豊富。2010年2月27日のチリ大地震の直後、祖国チリと被災地の人々に捧げる曲『夢よ、来い』を発表、音楽を通じた社会貢献活動を本格的に開始。NPO「挑戦、立ちあがろうチリ」文化・スポーツ部長として「ドレミ・プロジェクト」(被災地や貧困地区の学校に楽器を寄贈し、音楽教育の普及を図る)、環境保護に関する啓蒙コンサート「青い地球。君が生きているなら、僕も生きている」(http://www.planetaazul.cl)などの被災地復興支援に取り組む。
今回は大地震の被災地コンスティトゥシオンにあるガブリエラ・ミストラル校3年B組の生徒たちが書いた物語から歌を作り、南三陸町にメッセンジャーとして届けた。
http://www.ky.cl/




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