釜山から築く日韓の架け橋
鄭起永氏が実践する日本語教育

笑顔で講演するスーツ姿のジョン・ギヨン氏

2025年10月23日、国際交流基金ホールさくら(四谷)にて、第52回(2025年度)国際交流基金賞を受賞した、釜山外国語大学校教授・鄭起永(ジョン・ギヨン)氏の受賞記念講演会が開催されました。 本講演では、受賞のきっかけとなった日本語教育を軸とした日韓の相互理解を深めるための鄭氏の挑戦を、1994年の教授着任から日韓国交正常化60周年を迎える2025年までの歩みを振り返りながら語っていただきました。ここでは、中でも鄭氏の日韓双方の理解と信頼を深める取り組みを中心にお届けします。
※講演の全編は、国際交流基金公式YouTubeチャンネルでお楽しみいただけます。

釜山外国語大学校教授 鄭起永(ジョン・ギヨン)

釜山外国語大学校教授。韓国における日本語教育を30年以上にわたり牽引してきた第一人者。釜山外国語大学校では日本語創意融合学部を創設し、「韓日文化コンテンツ」「ビジネス日本語」「日本IT」の三つの専門専攻を設置することで、1000名を超える学生が学ぶ韓国最大規模の日本語教育拠点を築き上げた。ICTの活用に加え、学習者の熟達度を数値化するCan-do評価の導入など、先駆的な教育手法の普及にも大きく寄与している。さらに、対馬での漂着ごみ清掃活動、韓国人学生の日本企業への就職支援、「釜山日本村」の設立による継承語教育の実践、日韓文化交流団体の運営など、言語教育の枠を超えて国際相互理解と友好親善に貢献している。


釜山を日本語教育の最大拠点へ
日韓をつなぐ人材を育てる

釜山は韓国第一の貿易港であり、ソウルに次ぐ第2の都市です。韓国で最も南に位置し、日本の対馬との距離はわずか50キロ弱という近さにあり、古くから日本と物資や文化の交流を重ねてきた都市です。
私は43年前の1982年に、釜山外国語大学校で初めて日本語を学び始めました。その後日本に留学して兵役を終え、1994年に教員として母校に戻りました。着任時の私は二つの構想を抱いていました。一つは、釜山外国語大学校をソウルの大学よりも大きな日本語教育の拠点にすること。もう一つは、その最大拠点の中で、日韓の架け橋となる人材をたくさん育成することです。それが私の使命であり役割だと考えました。

この構想は二つの発想に基づいていました。私は「今日の感情的な日韓関係を、合理的なものに変えなければならない」と思っており、そのために「合理的な日韓関係の構築に有為な人材を養成する」という教育理念を持っています。「教育により日韓の架け橋となる人材をたくさん輩出して裾野を広げれば、日韓関係は合理的なものに変わっていくだろう」というのが、第一の発想です。
第二の発想は、「量から質が生まれる」というものです。日本語学習者をたくさん育成していけば、優秀な卒業生が輩出されます。首都ソウルの大学の学生よりも優秀な卒業生が、地方都市である釜山の地から大勢出てくれば素晴らしいと考えました。
こうした二つの考えに基づき、釜山の地に日本語教育の拠点を築くことを決意しました。

日本語と専門性の融合による教育改革
社会のニーズに応える人材育成の挑戦

日本語教育の沿革が書かれたスライドを背景に、マイクの前で解説するジョン・ギヨン氏韓国の学生たちが日本語を学ぶきっかけはアニメやポップカルチャーなどさまざまだが、最近は日本の多様な価値観や生活スタイルへの共感から日本に関心を持つ学生が多いと鄭氏は語る。

私は1982年に創設された釜山外国語大学校日本語学科の第一期生です。教員として大学に戻った1994年頃には、80年代からの日本との経済交流が活発化した影響もあり、学生数は私の卒業時より多少は増えつつありました。1998年には日本文化が開放され、日本のアニメなどの文化が急速に流入し、経済交流もさらに盛んになりました。

日本語を学ぶ人も年々増加しました。きっかけや動機は時代によって変わり、私が勉強した80年代は経済的な理由、「日本語を勉強して自分の仕事に役立てたい」という人が主でした。90年代からは文化で、日本のアニメーションやJ-POPのほか、日本人ならではの「おもてなしの精神」に惹かれる人が増えたようです。日本語学科を新設する大学も急増し、2000年前後には、韓国の4年制大学200校余りのうち、90校以上に日本語専攻が存在していたと記憶しています。

その後、釜山外国語大学校日本語学科が大きく発展したのは2006年です。入試センター長として私は、80から90名程度だった定員を一気に250名に増やし、学科から学部へ昇格させ、第二専攻も設けました。

この背景には、日本語ができるということだけでは、就職活動における卒業生の競争力が足りず就職が難しいという当時の課題がありました。日本語専攻でなくても、日本に住んだり交流したりという経験を持ち、日本語が上手な人が増えつつあったからです。そこで日本語に加えて第二専攻科目を学べるようにしました。具体的には、文化コンテンツ、通訳・翻訳、ホテル観光ビジネス、そしてITです。日本語とこれらの第二専攻を組み合わせて複合的に学ぶことで、学生の競争力や(社会人として)即戦力になるスキルが高まり就職率がアップしました。学部昇格前は6割程度だった卒業生の就職率が最高で約8割となり、その3割は日本に就職(ITやサービス業、または一般企業など )しています。これは韓国の大学で日本語を専攻していた当時の学生にとって、驚異的な数字だったと思います。

この制度改革により(釜山外国語大学校では)日本語学部志望の学生が急増し、「日本語融合学部」という現在の名称となり、ピーク時には副専攻を含め1000名を超える学生が在籍しました。

ところで、韓国人の学生が日本で働く際は、日本語の能力以外にも必要なことがあります。まずは「考える力」です。我々の学部では日本語にプラスしてITやビジネスなども教えますが、就職後は自分で考えて自ら学んでいかなければなりません。そして「(まわりをよく)観察する」「(意図を)察する」ことも大事です。日本人は自分の想いや考えをなかなか表に出さないことが多いので、相手の表情をよく見て接していくことが大事ですね。

教室で数人の学生たちが机を囲み、資料を広げて熱心にディスカッションをしている様子釜山外国語大学校では、二人一組となって互いに母語を教え合うタンデム学習が実施されている。語学・コミュニケーション能力の向上だけでなく、友情関係も育まれる。日本語以外にも、英語、中国語、フランス語などさまざまな言語で年間約1000人の留学生が韓国人学生とペアを組んでタンデム学習を行う。写真:講演会スライドより
2012年に発行されたジョン・ギヨン氏の著書『IS連想法で48分だけで学ぶひらがな・カタカナ(教師用指導書)』の書影を中心に、その学習メソッドを視覚化したカードの並び2012年に発行された鄭氏の著書『IS連想法で48分だけで学ぶひらがな・カタカナ(教師用指導書)』の書影(中央)の両側はIS連想法で作られたカード。日本語とその発音に関連するビジュアルを韓国語のストーリーとともに表しているのが特徴。写真:講演会スライドより

「対馬のごみ拾い」から「日本村」まで
日本語教育を越えて広がる実践の場

・対馬での海岸清掃活動
2003年から当学部はボランティア活動として、対馬の海岸に漂着するごみの清掃を行っています。これは対馬と釜山を結ぶフェリー会社に就職した卒業生から「対馬の人たちが、韓国から漂着するごみに大変困っている」という話を聞いたことがきっかけでした。漂流していたプラスチック容器などに韓国のラベルがついていたそうですが、韓国の沿岸部の住民が海にごみを不法投棄しているわけではなく、韓国の陸上のごみが風雨などで河川に流れ込み、海流に乗って対馬や長崎まで流れ着くのだそうです。日本のごみも同様に、ハワイやアメリカの西海岸にまで流れ着いているといいます。
そこで私は「日本語を学ぶ学生が対馬に行って海岸の清掃をし、漂着ごみの原因について説明すれば、環境保全と信頼回復に貢献できる」と考え、学生ボランティアグループと一緒に対馬に渡って活動を始めました。この活動は日本のテレビ番組でも何度か取り上げられ、大きな反響を呼びました。2016年には韓国の教育部長官と日本の文部科学大臣から「日韓の教育交流への貢献に対する大臣表彰」という賞もいただきました。

また、2012年には釜山に「日本村」を設立しました。これは主に日韓の国際結婚による家庭の子どもたちが、週末に日本語を学ぶ学校です。この学校設立のきっかけは、1990年代から日韓の交流が活発になって日韓の国際結婚が増え、夫婦関係や文化の違いによる問題など、さまざまな相談が寄せられるようになったことです。
その頃、私はアメリカのプリンストン大学に客員教授として滞在中で、主に日米の国際家庭の子どもたちが週末に日本語を学ぶプリンストン日本語学校で講演を行いました。そこで私が気づいたのは、「子どもが親の言語を継承する」ことの重要性でした。両親のどちらかが日本人でも、その子がアメリカにいればアメリカ文化に同化し、韓国では韓国文化に同化して、親から継承する文化的アイデンティティや言語を失ってしまうのです。
国際的な視点から見ると、こうしたことは非常に大きい文化的損失です。そうしたことを防ぐために、親の出身国と違う国で生まれ育つ子どもたちには、親の母国語を積極的に教えなければならないと考えるようになりました。それがいわゆる「継承言語」「継承文化」教育です。そしてこれからは韓国も多文化政策を考えていかなければならないし、継承言語・文化の教育が必要だということで、まず釜山から活動をスタートし、その後ソウルでも韓国継承語研究会が設立されるようになります。
当時は生徒数が少なかったため、本当は学校名を「釜山日本語学校」にしたかったのですが(笑)、「釜山日本村」にしました。現在は主に国際家庭の子どもたち35名から40名が、毎週日本語の勉強に来ています。先生を務めてくれているのは日本人のお母さんやお父さんで、10数年も本当に頑張ってくれています。私は今後もこの活動をサポートして、韓国内でも日本語や日本文化に触れられる場所を残していきたいと思っています。

日本地図の上に、北海道から宮崎まで各地の大学や専門学校の名前がマッピングされた図。全国に広がる教育ネットワークを示している 釜山外国語大学校では、日本の大学との交流を積極的に行っている。2025年現在、日本の101の大学や機関と協定を結び、日本語教育や関連プログラムの共同運営を実施。写真:講演会スライドより

相互理解を越えた協力関係へ
合理的な日韓関係の在り方とは?

日韓の交流や関係についてお話しする際、私はいつも二つの言葉を紹介します。
一つは、学生たちと対馬に清掃ボランティア活動に行った時、2004年に対馬市の初代市長に就任された松村良幸さんが、海岸に集まった学生たちにかけてくださった言葉です。
彼は「日韓の過去は変えられないけれど、未来は変えられる。皆さんで変えてください」とおっしゃいました。その時、日韓の交流に教育面から関わる者として強い感銘を受けました。日韓の関係や交流は感情に影響されやすく、私もいつも苦労しています。でも「ああ、そうだ。過去は変えられないし忘れてもいけないが、未来は変えられるから、可能性はある」と感じ、松村さんの「未来は変えられる」という言葉が大好きになりました。

もう一つは、私が考えた言葉で「日韓関係と夫婦関係は同じ」というものです。妻子も(講演会場に)来ている前でこんなことを言うのは申し訳ないのですが(笑)、「相互理解を前提にするから、対立と葛藤が生まれて苦しむ」という点が同じなのです。いつも妻から「なぜ理解してくれないのか」と言われていた私も、妻に対して「なぜ私を理解してくれないのか」と思っていました。しかし考えてみたら、私も自分自身をよく理解できないくらいなのだから、妻が私を理解するのははるかに難しいでしょう。
他者との関係で相互理解を前提にしてしまうと、その実現は困難なだけに恨みや争いが生まれます。だから「他者とは理解し合えない」と認めてしまう方がいいのです。「理解はできなくても協力はし合う」とポジティブな考え方をして、問題が起きたら話し合い、「どこで接点を見つけ、どこで妥協するか」をクリエイティブに考えるのです。もしもその努力さえできない状況なら「待つ」しかない。待っている間に、人は自然と冷静になります。「まあ、今回は少し大目に見てやるか」という心境になるかもしれません。これは人間でも国でも同じだと思うのです。
私が教育において「感情的な日韓関係ではなく、合理的な日韓関係を作りたい」と言っているのはそういうことです。

2014年に新設された釜山外国語大学校 南山洞キャンパスの近代的な校舎 2014年に新設された釜山外国語大学校の南山洞キャンパスは、日本企業の日建 設計が設計した。鄭氏が当時の総長とともに関西外国語大学へ訪問した際、同大学のキャンパス設計を担当した 同社を紹介してもらったことがきっかけだという。「このキャンパスは日韓交流の産物。日本とのコラボレーションの一つです」と鄭氏は語る。写真:講演会スライドより

教育とは人と人がつながる
橋をかけること

これまで、自分が関わってきた教育そのものについては、あまり困難を感じませんでした。学生と接するのも学生と活動するのも好きで、楽しくやってきましたから。難しかったのは、学生のために政策や制度を変えようとした際に、国や大学などと戦わないといけない場合です。声を大きくしてアドボカシー(主張や発言)をしないと政策や制度は変えられないので、多少の摩擦を起こしてもそれを押し通していくのですが、「自分のためにやっているんだろう」などと誤解されることも多かったですね。私は学生や日韓関係のためになら何にでもチャレンジしたいのですが、それを社会や組織に理解してもらうのが、一番大変で苦しかったなと思います。

近頃は年に800万から1000万人以上の韓国人が日本に旅行しています。韓国人の総人口約5000万人のうち4~5人に1人が日本に行っているというのは、非常に多い数ですよね。
50年後、100年後には、釜山と福岡の間に橋ができると思います。決して夢物語ではありませんよ。イギリスとフランスの間にあるドーバー海峡には地下トンネルができ、車や電車が通っています。釜山と福岡の間も100年以内に、地上の橋か地下トンネルでつながるでしょう。

橋でつながると言えば、「教育とは橋をかけることが全てだ」という言葉があります。アメリカのラルフ・エリソン氏という作家・教育者の言葉です。どのような橋かというと、人と人、国と国、専門と専門の間にかける橋です。そして「教育者ができるのは道を進む方法を教えることではなく、『機会』という橋を作ってあげること。できた橋の上の道を進むのは学ぶ人自身だ」とおっしゃっています。それが教育の意義ではないかと私も思います。當作靖彦先生の「言語教育の意義とはつながりを作ることである」という言葉と同じですね。
振り返ってみると、これまで自分が続けてきた活動は、学生のために一貫した学習のための流れや、社会とのさまざまなつながりを作ろうとすることだったのだと気付きました。そしてそうした橋を作ることが、私たち教育に携わる者の使命ではないかと、改めて思います。
本日はありがとうございました。

【講演の全編はYouTubeでご覧いただけます】 鄭氏の教育者としての深い哲学から、大学における具体的な日本語教育の取り組みまで、講演をぜひ映像でお楽しみください。

講演内容(約90分)
・日本への玄関口「釜山」
・釜山外国語大学校 日本語創意融合学部
・教育と研究の革新
・国際交流と社会的貢献
・教育の意義とは

●関連記事

第51回(2024年度)国際交流基金賞 授賞式レポート

第51回(2024年度)国際交流基金賞 受賞記念講演会
日本の芸術、文化は、 いかにして私達の心を満たすのか?

第51回(2024年度)国際交流基金賞 受賞記念講演会
モンゴルにおける日本語教育と モンゴル日本語教師会の歩み

Page top▲