【ポスト日本語教育―教える・教わる、その先にある物語】
ブレイク芸人いぜんさんが語る、笑いと学びの交差点

日本のお笑い芸人を目指し、19歳で来日した中華人民共和国(中国)出身のいぜんさん。
2025年1月にテレビ番組『千鳥かまいたちアワー』に登場し、お笑いコンビの千鳥・大悟の中国での人気ぶりを万里の長城にたとえ、大物芸人たちが「売れる!」と太鼓判を押すほどの爆笑をさらいました。
独特の比喩と言葉選びは「いぜんミーム」としてインターネットで話題を呼び、SNSのフォロワー数は半年で約20倍に増加。また、東京大学大学院で核融合の研究を行いながら、お笑い芸人として学問と笑いの両立にも情熱を注いでいます。 日本語の習得が人生の転機になったといういぜんさんに、その先に広がる可能性について聞きました。
日本のバラエティー番組が出発点
日本語能力試験(JLPT)N1に合格したものの...
- ──来日する前から日本語の勉強は始めていたのですか?
- いぜんさん(以下、敬称略): 本格的に始めたのは日本に来てからです。ファンである嵐の番組に出演していた森三中さんやハリセンボンさんなどの女性芸人に憧れて、私も日本で芸人になりたいと思うようになりました。
中国にも相声(そうせい)(※1)と呼ばれる伝統的なお笑いがあるのですが、弟子入りが前提で誰もが挑戦できるものではありません。日本のお笑いは間口が広く、漫才やコント、ピン芸など多様で、ライブでは芸人全員で盛り上げる。それが私にとっては新鮮だったんです。
日本のテレビを見ていたこともあって、高校を卒業して来日したときは、部分的に日本語を読むことはできました。でも、話すことは全くできない状態だったので、基礎から学ぶため日本語能力試験(JLPT)の最上位レベルであるN1(※2)合格に目標を定めて、本格的に勉強を始めました。
憧れのアイドル・嵐を女性芸人が笑わせる姿を見て、これが私の進む道だと思ったといういぜんさん。その熱意もあってか、日本語能力試験の最難関N1に学習開始後わずか3カ月で合格。
- ── そして見事、日本語能力試験(JLPT)のN1に合格されたそうですが、どのように勉強したのでしょうか。
- いぜん: 詰め込みすぎず、毎日1〜2時間をコツコツ続けました。好きなことと学びを掛け合わせるようにして、バラエティー番組の日本語を真似したり、小説の好きなフレーズをメモしたり。ただ、試験を意識して「...ではあるまいし」「いかんを問わず」など細かいフレーズばかり覚えていて、道に迷ったときに何も言えず......。インプットばかりではよくないと気づいてからは、アウトプットも意識して、実生活の中で使うことを大切にしました。
実はこう見えて陰キャ(陰気なキャラクター)なので、最初に留学した東京都立大学では友人づくりに苦労しましたが、吉本興業の養成所入所前に入った松竹芸能の養成所に通うようになってから、日本語を話す機会が増えました。20人ほどの少人数クラスで、私の片言でゆっくりした日本語を聞いてくれる日本人の同期がいたのも幸運でしたね。
中国語、日本語、英語が併記された勉強ノート。A4サイズのものを縦に四分割し、折り曲げながら単語帳のように使っている。ネタ帳やお気に入りの日本語のフレーズを書き込むノートなど数冊を使い分け。
いぜんさんお気に入りの小説の一部。左から、現在読んでいる『マイクロスパイ・アンサンブル』(伊坂幸太郎著、中国語翻訳版)、『自転しながら好転する』(山本文緒著)、『カラフル』(森絵都著)。
- ── それから、いぜんさんのブレイクのきっかけにもなった「〇〇より、〇〇ねえよ」という決め台詞はどうやって生まれたのですか?
- いぜん: 実は、もともと中国を前面に出したネタはやりたくなかったんです。でも、私の片言の日本語や日本文化への理解度を客観的に見たとき、中国人女性であることを強みにしようと思いました。聞き取りやすさも考えて、ネタは短くてインパクトのある言葉がいいと考えました。
中国語では肯定や否定が文の前半に来るので、単語選びが笑いの鍵になります。一方、日本語はそれが文の後半に来る。単語より言い方や言葉遣いを工夫したらどうだろうと、自分なりに分析した結果、生まれたのがこの台詞でした。
とはいえ、実際使うのはすごく勇気がいりました。こんな乱暴な言葉遣いは『標準日本語』(※3)には書いてありませんからね(笑)。
- ── ネタづくりには言葉以外にも、日本文化や社会背景の理解も必要なように感じます。
いぜん: そう思います。日本人の飲み会で、隣の人の注文を真似して「俺も生(生ビール)」と言ったら、周りの人が笑ってくれて。このとき、これは外国人が言うと面白くなるほど、こなれた表現なんだと気づきました。
サザエさん、スラムダンク、港区女子など、日本で特定の世代に共有されている言葉の背景も、来日当初は全くわかりませんでした。でも、こうした言葉の向こうにあるイメージを理解することで、日本で暮らす人々の共感を得られる共通言語になるわけです。言葉を覚えるだけでは、わからない部分ですよね。
東大大学院での研究とテレビ収録をこなした一日についていぜんミームで表現。8.5万の「いいね」がついた(いぜんさんのXより)。
日本語を通して得られた異文化へのリスペクトと共感が
私の世界を広げてくれる
- ── 今では3カ国語(日・中・英)を操るトリリンガルですね。いぜんさんにとって、日本語習得はどのようなターニングポイントになりましたか?
いぜん: 日本語を学ぶことで、言葉の背景にある人々の文化や価値観、常識に触れられるようになったことが、何よりの収穫です。言葉の背景を知ると、おのずと文化へのリスペクトと共感が生まれます。
お笑いは常識への理解や共感があってこそ成立すると思うので、ようやく本当の意味で、日本のお笑い芸人としてのスタートラインに立てたのではないでしょうか。来日当時に比べて、今は毎日がとても充実しています。
「いぜんのお笑いへの情熱にはかなわないよ」と日本人の芸人の先輩から言われたことがうれしく、今でも励みになっているそう。日本語学習はゴールではなく夢を叶える道具だといぜんさんは語る。
-
── 2026年春からは、日本の企業に就職し、社会人と芸人の両立になります。今後は、どのように活動していきたいですか?
いぜん: 芸人としての活動時間に制限が出てきてしまいますが、大学院で研究しているエネルギー分野は私がお笑いと同じくらい没頭できる大切な世界です。
お笑いと大学院を両立したからこそ、日本社会をいろんな角度で理解できました。舞台に立つ芸人がかっこいいのと同じように、研究に一生を捧げる科学者もかっこいい。それは会社員も同じだと思います。
現在内定をいただいている会社での会社員としての経験は、まだ知らない日本文化や社会への理解にもつながりますし、より多くの日本に住む人々に共感してもらえるお笑いへのヒントにもなるはず。お笑いに限らず、誰かの役に立てて、結果を残せることはうれしいことですから、楽しんでやりたいと思います。
バージョンアップした私をぜひ楽しみにしていてください!
- (※1)相声...中国の伝統的な話芸の一つ。言葉遊びや擬音、風刺を交え、日常や社会が題材になることが多い。一本のネタで15~20分ほどになることが一般的で、観客はお茶を飲みながら観劇する。
- (※2)日本語能力試験(JLPT)N1レベル...日本語能力試験(JLPT)は日本語を母語としない人を対象とした試験。N1は幅広い場面で使われる日本語を理解することができるレベルとされる。認定率は30%ほど。
- (※3)標準日本語...『中日交流標準日本語』シリーズ(光村図書、人民教育出版社編)のこと。中等教育機関等においてゼロから日本語を学習する人々を対象とするなど、日本語学習の入門書としてロングセラーとなっている。
いぜん お笑い芸人。1998年、中国・北京生まれ。高校卒業後に来日し、東京都立大学理学部に留学、その後東京大学大学院でエネルギー工学を学びながら、吉本興業所属のピン芸人として活動する。日本語能力試験(JLPT)のN1取得者で、TOEIC925点というトリリンガル。2026年春からは日本の一般企業に正社員として就職し、二足のわらじで芸人を続ける予定。憧れの芸人は千鳥の大悟。
X:@thousandmoney98
Instagram:thousandmoney98
YouTube:いぜんの勝手
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