雑誌『をちこち(遠近)』
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英語で落語を演じる、日本語で小説を書く――その醍醐味

立川志の春(落語家)
デビット・ゾペティ(小説家)
マックスウェル・パワーズ(MC)



『をちこちMagazine』の連載エッセイでお馴染み! アメリカ留学の経験を生かし、英語落語に取り組む立川志の春さん。日本で暮らし日本語で小説を執筆するスイス生まれのデビット・ゾペティさん。母語以外の言語を操り表現する落語家と小説家の対談が、去る6月8日に実現しました。マックスウェル・パワーズさんの軽妙なMCのもと、「英語で落語を演じる」「日本語で小説を書く」――それぞれの魅力を語り合うこと90分。会場が笑いに包まれ大いに盛り上がった対談の模様をダイジェストにしてご紹介します。

JFICイベント2015「をちこちMagazine」立川志の春×デビット・ゾペティ対談
MC/マックスウェル・パワーズ(2015年6月8日 国際交流基金 JFICホール「さくら」にて)


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英語で演じる時も落語本来の風味は伝えたい――志の春

パワーズ:まずは志の春さん、落語との出会いについて話していただけますか。

志の春:はい。僕が落語と出会ったのは、社会人になって3年目の頃でした。実は、その時まで落語にはまったく興味がなかったんです。それが、巣鴨でたまたま立川志の輔独演会に遭遇して、「人生経験の一つに」と軽い気持ちで見てみたところ、とてつもなく大きな衝撃を受けまして。高座で演じている師匠が、しばらくするとふっと消えたんですよ。正確には、落語の登場人物がブワーッと頭に浮かんできて、師匠が消えたという感覚を持ったわけです。「こんなすごい芸があったのか!」と、一瞬で落語に惚れ込みましたね。そんな出会いがあって、1年後に会社を辞めて師匠のもとに入門したんです。

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落語との出会いを語る立川志の春氏

ゾペティ:今回の対談の前に志の春さんの落語を聴いてみたいと思って5月の独演会に行きまして、その時に僕も「消える」という感覚を経験しました。最初のうちは高座に志の春さんがいるんです。ところが、次々と現れる登場人物に感情移入させられて、目の前にいたはずの志の春さんがいつの間にか消えていましたね。

パワーズ:僕もその独演会に行ったんです。志の春さんの落語を聴きながら、これを英語で演じるとどうなるんだろうと思いましたね。

志の春:例えば亭主とおかみさんが登場するネタをやるとします。日本語なら、あまり声を変えなくても亭主とおかみさんの会話だとわかるんですよ。でも、英語の場合は声を変えないと男女の区別がつかない。だから多少、演じ方がオーバーになりますね。

ゾペティ:志の春さんの著書『誰でも笑える英語落語』に付いているCDで、初めて英語落語を聴きました。日本の古典芸能だと思い込んでいた落語が英語でも十分に楽しめるものなんだと知って、英語で落語を演じる時にどういう点に注意しているか僕も聞いてみたかったんです。

志の春:登場人物の区別をつけるために声を変えることはあっても、あまり大袈裟にやりすぎないように気をつけますね。落語が持つ本来の風味は残したいですから。ただ、ジェスチャーはちょっと難しい。例えば和尚さんが「ちんねん、こっちへ来なさい」と呼ぶ場面があるんですが、手の平を下にして人を呼び寄せる仕草は日本独特のものなんです。アメリカ人は手の平を上にして指を動かしますよね。でも、英語落語だからといってアメリカの仕草で手招きすると、和尚さんがマヌケに見えちゃう(笑)。だから、そういう場面は逆にアクションを控えめにします。

ゾペティ:落語では手紙を書く仕草をする時に、手ぬぐいと扇子を使いますよね。海外で落語を披露する場合は、横書きの仕草をするんですか?

志の春:いえ。日本ではこう書くということが伝わるように、縦書きの仕草をします。シンガポールで公演した時に、子どもたちに「それは違う!」と突っ込まれたことがありましたけどね(笑)。お客さんの反応に関して言うと、海外の方はリアクションがダイレクトで自由です。その点、日本人は「どこで笑えばいいんだろう」とか「ここで笑うと恥かしいんじゃないか」とか、けっこう気にするみたいなんですよ。

ゾペティ:志の春さんの独演会に行った時に僕も、周りを気にしている自分を感じました。「この人、どうしてこの場面で笑っているの?」と思われるかもしれないなって、変に意識しちゃうんですよね。

志の春:海外の方は周りを気にせず、自分が面白いと思うところで勝手に笑いますね。日本人はなかなかそれができない。好きなように反応して自由に笑っていただくのが一番なので、日本人のお客さんには「周りのことは気にしないでください」と言いたいですね。

ゾペティ:それをまくらで言ってくださいよ。

志の春:そうですね。じゃあ毎回、言いましょうかね(笑)。

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日本語で小説を書くことがたまらなく心地いい――ゾペティ

パワーズ:デビットさんはどういうきっかけで、日本語で小説を書き始めたんでしょうか。

ゾペティ:独学で日本語を学び始めた30年前に、その当時つき合っていた日本人の彼女から渡辺淳一の『阿寒に果つ』という小説を借りて、和仏辞典を片手に読んだんですね。その後、日本の小説を何冊も読んでいるうちに、自分にも書けるんじゃないかと感じた......というよりも、錯覚してしまった。それで書いたのが『いちげんさん』という作品なんです。

パワーズ:小説は手書きで執筆するそうですね。

ゾペティ:はい。僕はどうしょうもないアナログ人間でして。字はとてもきたないけれど、日本語を書くということ、原稿用紙のマス目を埋めていくという感覚が、たまらなく好きなんです。万年筆を走らせていると、非常に充実感を得られます。

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自身の執筆原稿を手に話をするデビット・ゾペティ氏

パワーズ:デビットさんのように、日本語で小説を書いている外国人の作家は増えているんですか?

ゾペティ:日本語を母語としない外国人が日本語で執筆した作品を「越境文学」と呼ぶんですね。だから僕は、「越境作家」ということになるらしい。僕がデビューした1997年には、その越境作家はスイス出身の僕以外に、アメリカ人のリービ英雄さんしかいませんでした。今はけっこう増えています。一番有名なのは、『時が滲む朝』という作品で外国人として初めて芥川賞を取った中国の楊逸(ヤン・イー)さん。他には台湾生まれの温又柔(オン・ユウジュウ)さん、イラン出身のシリン・ネザマフィさん、アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさん、カナダ人エッセイスト、ジョン・ギャスライトさん。数としてはまだ少ないですが、日本語はもはや日本人だけのものじゃなくなりつつあります。

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対談の進行役を務めるマックスウェル・パワーズ氏

パワーズ:逆に、日本語で書いた自分の小説を他の言語で書き替えることはできますか?

ゾペティ:できないですね。『いちげんさん』をフランス語に訳してほしいと向こうの出版社に頼まれて、一度やってみたんです。でも僕のフランス語のレベルが中学生並みに落ちていて、自分が訳した文章を読んでみると、ぜんぜんフランス語になっていませんでした。今は韓国語と英語に訳されていますが、自分で訳そうとはまったく思わないですね。

志の春:日本語には独特の言葉や表現がありますが、それを他の言語に訳すのは難しいでしょうね。

ゾペティ:『いちげんさん』の英語訳を担当したのは、英米文学を専門とするアメリカ人の教授なんです。その人とやり取りをしている時に、訳し方を巡ってけっこう意見の相違がありましたね。

志の春:訳がしっくりこなかったんですか?

ゾペティ:その英語に訳されてしまうと、自分の意図とちょっと違うなという感じはありましたね。ただ、小説自体がしっかりしていれば、翻訳で小さなずれがあったとしても、一つの作品として成り立つとは思います。

rakugo_novel_06.jpg パワーズ:笑いの場合はどうでしょうね。世界共通だと思いますか? 

志の春:そうですねぇ。アメリカンジョークは英語で聞くと面白いけれども、それを日本語に訳すとちょっとキザな感じに聞こえたりしますよね。翻訳によって失われるものは確かにあると思います。落語の場合、洒落は無理ですね。「布団が吹っ飛んだ」なんて、英語では通じません。落語のオチもそのまま英訳するとオチにならないですから、途中にちょっと伏線を張っておいて。まあ、いく分、説明的なオチにはなってしまうんですけどね。

ゾペティ:志の春さんの著書に「人間の弱さやダメさで笑いを誘うネタが落語にはけっこう多い」と書いてありましたが、人間の弱さや愚かさは英語で演じた時も同じように通じるものですか?

志の春:通じますね。結局、落語に出てくる人間の弱さや愚かさというのは、知ったかぶりをしてしまうとか、簡単な手段でお金儲けをしようと企てるとか、その種のことだと思うんです。落語では、「それはダメだ」と否定はしません。人間は欲望に負けてバカなこともするが、「そこも人間の魅力的なところなんじゃないの?」というような哲学が多い。それは海外の方にも伝わります。

ゾペティ:普遍的なものなんでしょうね。

志の春:そう思います。今、僕たちがやっている古典落語というのは、300年くらい残ってきた噺なんです。300年前の日本人もその噺で笑い、今の日本人も同じ噺で笑っている。300年続いてきたネタには、海外でも伝わるくらいの普遍性があるんだと思います。新作落語のほうがかえって、英語に訳すのが難しいんです。



小説は本で――ゾペティ  落語は生の高座で――志の春

パワーズ:今は若者が飽きっぽかったりネタがすぐに古くなったりする時代ですが、普遍的ということに関して、デビットさんは小説を書く上で苦労することはありますか?

ゾペティ:僕は旅をするのが大好きで、『旅日記』というエッセイ集を出しました。実は、その続編を書いたんだけれど、出版社に却下されたんです。理由を聞くと、リーマンショックと3.11を経験した日本人の読者はこういう旅ものは読みたがらないからだと。時代の流れというか、状況が変わったことを実感しましたね。

パワーズ:デビットさん自身は、日本の読者に対して何か変化を感じていますか?

ゾペティ:30年近く日本で暮らしていますが、小説家として一番実感することは日本人の活字離れです。正確に言うと、日本人は文芸書を読まなくなった。初めて来日した1983年、山手線の車内で単行本を読んでいる人は1車両に15人から20人はいたんです。それを見て僕は「日本人はなんて読書家なんだろう」と思いました。今は、車内で単行本を読んでいる人は皆無に等しい。ほとんどの人がスマホ、ゲーム、音楽に集中していますよね。

志の春:スマホは我々にとっても課題なんですよ。イベントの余興などで落語をやる時に、スマホのカメラで写真を撮る方がいるわけです。最近は動画を撮る人もいます。その動画をどうするのか聞いてみると、「すごく楽しいので友達に見せようと思う」と。でも、その場で実際に見たことを自分の口で伝えるほうが絶対、楽しさは相手に伝わると思うんですよね。

ゾペティ:その通りです。

志の春:その場で生の空気に浸るというのが、今は何だか特別なことになってしまっている......そんな感じがしてしょうがないんですよね。

ゾペティ:今、文芸誌が売れないがために、僕の生原稿はなかなか活字にならないんです。日本の皆さんに希望を言わせてもらうなら、小説は本で読んでほしい。紙のページをめくりながら読む楽しさを再発見してほしいと思いますね。

志の春:僕は師匠の落語を生で聴いて、落語に惚れ込みました。皆さんにもぜひ、落語会に足を運んで生の空気を味わってほしいですね。

rakugo_novel_07.jpg (編集:斉藤さゆり/撮影:相川健一)





rakugo_novel_08.jpg 立川志の春(たてかわ しのはる)
落語家。大阪府生まれ、千葉県育ち。米国イェール大学を卒業後、1999年に三井物産に入社。社会人3年目に偶然、立川志の輔の高座を目にして衝撃を受け、会社を退職して弟子入りを懇願。2002年に志の輔の3番弟子に。2011年1月、二つ目昇進。古典落語、新作落語、英語落語を演じ、シンガポールでの海外公演も行う。著書に『誰でも笑える英語落語』(新潮社)、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント』(星海社新書)、『自分を壊す勇気』(クロスメディア・パブリッシング)。

white.jpg rakugo_novel_09.jpg デビット・ゾペティ
小説家。スイス生まれ。1986年より日本在住。ジュネーブ大学日本語学科中退後、同志社大学文学部卒。1991~1998年、テレビ朝日に勤務。1996年『いちげんさん』ですばる文学賞を受賞。2000年『アレグリア』(集英社)で三島賞候補となる。2001年『旅日記』(集英社)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。他の著書に『命の風』(幻冬舎)『不法愛妻家』(新潮社)など。現在は執筆の傍ら、若石健康法のリフレクソロジストとしても活動。

white.jpg rakugo_novel_10.jpg マックスウェル・パワーズ
米カリフォルニア州オークランド市出身。アメリカ人の父と日本人の母を持ち、幼い頃から日本の漫画に親しみ、15歳より独学で日本語を修得。その後日本に留学し、上智大学で国際政治学を専攻。現在は翻訳や通訳を行う傍ら、俳優やナレーターとしてCM、テレビ、映画などでも活躍。趣味は、日本語と英語の発想の違いを研究すること。




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