文化外交:外交におけるソフトパワーの可能性と限界(後編)

クルト-ユルゲン・マース(テュービンゲン大学名誉教授)



 ドイツのソフトパワー政策を担う機関の一つ、ドイツ対外関係研究所の事務局長を1998年~2008年の10年にわたり務めたクルト-ユルゲン・マース氏が、外交政策の中におけるソフトパワーの有効性と限界について、欧州の事例を元に語った模様を前編・後編に分けてお届けします。
 後編の最後では、マース氏の講演を受けて、文化外交の著書も多数ある渡辺靖・慶應義塾大学教授からなされた示唆に富むコメントや、渡辺教授とマース氏の対話も収録しています。
(2013年9月19日 国際交流基金JFICホール「さくら」での講演を収録)

<前編のまとめ>
 青少年時代にマース氏が実際に体験した戦後のイギリスへの交換留学、独仏青年会議への参加は、戦後の欧州の文化外交の一端に触れるものでした。文化外交政策を扱うドイツ外務省の専門機関であるフンボルト財団ドイツ対外関係研究所での勤務経験を踏まえ、拡大する文化外交を3つのキーワードで分析しています。
 1つ目のキーワードである「宣伝」について、ドイツの外交政策におけるアプローチを歴史的視点から、また2つ目のキーワードである「価値」について、現在のドイツの外交政策を踏まえて、前編では語られました。




重要性を増す外交メディア政策
cultural_diplomacy02_03.jpg ここからは、価値についての対話の中でも次第に重要性を増してきているもう1つの側面、「外交メディア政策」についてもお話ししたいと思います。従来の外交メディア政策といえば、新旧さまざまなメディアの力を借りて対外的に国家のイメージを強化し、関心や共感を求めることを指していました。しかし今日では、価値観についての対話から変革プロセスの支援までもが含まれるようになりました。その課題は、メディアを通じて国の立場がより具体的で分かりやすくなり、国際ニュースの解釈をめぐる論争にうまく参加できるようになるということです。この課題を達成するのは、非常に難しくなってきています。アラビア語による外国テレビ番組の放送を例に挙げましょう。ボイス・オブ・アメリカアル・フーラTVBBCフランス24ロシア・トゥデイ中国CCTV、またわずかですがドイチェ・ヴェレも放送されています。こういった欧米諸国のテレビ番組の他に、380にのぼるアラビア語のテレビ放送がアラブ衛星通信機構(Arabsat)の衛星によって中継され、アラビア諸国に配信されています。このような環境では、注目されることですら非常に難しいことがお分かりいただけると思います。つい10年前には3つしかなかった外国のテレビ放送が、今では30以上もあるのです。



文化外交政策における「競争」
 それでは最後に、ドイツに新たな考え方を迫るような、文化外交政策における国際的な「競争」の拡大について考えてみましょう。すでに説明した他の2つのキーワード、「宣伝」「価値観についての対話」と同じくらい、「競争」も興味深いキーワードです。
 旧ドイツ連邦共和国にとって、文化外交政策における主な競争相手はアメリカ、イギリス、フランス、そしてイタリアでした。しかし1990年以降、国家の外交政策において文化の重要性が高まると、外国に対する独自の戦略と仕組みを持った国が飛躍的に増加しました。現在、EU加盟各国が海外に展開する文化機関は2,000以上に及びます。
 新しいメンバーの中ではスペインが最も力を入れて取り組んでおり、過去20年のうちに 77のセルバンテス文化センターを世界44か国に開設しています。大衆文化が後押ししたこともあり、第二外国語をめぐる熾烈な闘いにおいてスペイン語は勝利し、いま次の段階へと前進しました。さらに、文化外交政策においてスペインはラテンアメリカとの懸け橋としての役割を果たしており、ドイツにとって手ごわい競争相手になりました。



永遠のライバル、英国
 多くの点でドイツが及ばない偉大なライバルは、イギリスです。今日の世界共通語は英語であり、イギリスがその恩恵を受けていることは言うまでもありません。そして、当面はその優位性は維持されるでしょう。イギリスがその文化的プレゼンスを発揮している国は世界で100か国以上あり、その主要機関であるブリティッシュ・カウンシルの運営方法は非常に優れています。5年前に初めて立案されたブリティッシュ・カウンシルの将来計画は、他の西欧諸国のいかなる構想と比べても、非常に前衛的かつ革新的なものです。数年におよぶ徹底した評価に基づき、強力な相互信頼関係を構築する方法やパートナーシップに対するアプローチのような、経済的なテーマもコンテンツに含まれるように変化しています。また、BBCという比類のないメディアの存在が、イギリスを文化外交政策における「スーパースター」にしています。



最大のライバル、米国
 しかし、調査研究や外交政策を取り扱う国際的な科学シンクタンクの存在という点では、今日の文化外交政策における最大のライバルはアメリカであるという印象を受けるでしょう。鉄のカーテンが崩壊し、アメリカの政治学者であるフランシス・フクヤマが革新的な「歴史の終わり(The End of History and the Last Man)」を発表して以来、これほど徹底的に、そして時に辛辣に分析が行われているところはありません。ユーゴスラビアの激しい分裂やルワンダの大虐殺、そして2001年の9.11やイラク、アフガニスタンでの戦争から、当時のアメリカは歴史は繰り返すという事を認識せざるを得ませんでした。サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」や、ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー 」は世界的なベストセラーになり、政府によって任命された多くの専門家グループが何年間もかけて議論を重ねました。ハーバード大学ジョージタウン大学といった名高い大学では研究グループが発足し、南カリフォルニア大学では広報外交研究所さえ設立されたほどです。ビル・クリントンはホワイトハウスの 外務次官に「広報外交と広報業務」を担当させました。14年間で6名がこの役職を全うしようとしましたが、そのうち4年間はこの任務を引き受けようとする者がなく、このポストは空席でした。

 10年間にわたって続けられてきた激しい議論は、何の役にも立たなかったようです。新たな研究成果で実行に移されたものは実質的に何一つとしてありません。外交政策において非常に重要で最大の要素でもあるアメリカの国としてのイメージは、イスラム世界においては依然として悲惨な状態です。このような現状を鑑み、2012年8月、ニューヨークを拠点とするシンクタンクは白書の中で「新しい広報外交の原則」として以下のようにまとめました。「アメリカの広報外交は10年前と何ら変わっていない。資金、リソース、指導力、認知度、どれも不十分なままである。」



新たなライバル、中国
 しかし、はるかに重要視すべきライバルは中国でしょう。中国政府の当局者はジョセフ・ナイの『ソフト・パワー』を徹底的に読み込んでいたはずです。というのも、その本がアメリカで出版されてからわずか1年後には中国語へ翻訳され、北京で出版されました。当時中国は、世界の政治的舞台における将来の立場や、外交政策における文化の役割について思考している最中でした。そのような状況で、ソフトパワー戦略の核心的な要素が瞬く間に実施されたのです。しかし、アメリカの提案に対する批判が表面化するのに時間はかかりませんでした。
 文化や価値観、外交政策に限定されたある種「呼び物」としてのソフトパワーは、中国のオブザーバーにとってはあまりにも狭量すぎました。彼らは、対外援助や開発支援だけでなく、軍事力(!)や経済力、ビジネスにおける成功も「呼び物」の源になっているのだと主張しました。
 また、ジョセフ・ナイはアメリカの科学技術の発展をソフトパワーとして言及すらしていませんが、その功績によってアメリカは世界で最も高い評価を得ています。
そして、中国では、ソフトパワーは国内問題にも関連します。なぜなら、ソフトパワーは中国人のアイデンティティをさらに高めることに寄与していると同時に 、国益を実現する手段でもあるからです。
 最後に、世界の国々がアメリカの成功を称賛し、同様の繁栄を切望したとしても、アメリカの外交政策を支持しているわけではありません。

 中国がソフトパワーを行使する目的の1つは、外国において中国人の「正当な」権利と利益を守ることです。 わずか8年の間に、中国は世界108か国に400校の孔子学院を開設し、そのうち60校以上がアメリカにあります。2020年までにその数は世界で1,000校に達すると予測されており、さらに5,000の「孔子教室」も開かれる見通しです。同時に、中国語を学ぶ外国人は4000万人にのぼります 。単科大学や総合大学が開校されたことで、2010年には世界194か国から265,000名の学生が集まりました。将来的には500,000名以上を集めることが目標とされています。外国のテレビ放送をつなぐネットワーク(中国中央電視台/CCTV)は、24時間体制で英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、ロシア語の番組を放送しています。また、中国国際放送(CRI)は40以上の言語で配信され、ウェブサイトも50以上の言語に対応しています。



力を増すロシア
 ここ数年、国際的な文化外交政策の場でロシア連邦の競争力がさらに増してきました。現在76か国に展開するロシアの外国文化研究所の体制が発達していることからも、このことが分かります。ロシアは対外的なイメージの改善に重点を置いています。その第一のターゲットは外国へ移住したロシア人(約2700万人と推定される)で、5つの専用テレビチャンネルが放送されています。さらに重要なのがロシア語です。ソビエト連邦の崩壊以来、ロシア語の学習人口は世界各地で大幅に減少しているからです。



東アジア・東南アジアで成功を収める韓国と日本
 さて、韓国(キーワード:韓流)や日本も独自の文化外交政策を活発に推し進めていますが、その積極性や規模は中国には及ばず、焦点も異なっています。日韓両国とも、主に東アジア、東南アジアにおいて成功を収めています。
 安倍首相は、2020年までに日本の大学10校を世界大学ランキングの上位100校にランク入りさせたいと考えているそうです。現在のところ、上位100校にランキングされている日本の大学はわずか2校です。目標を達成するには、現在12万名の留学生を30万名に増やす必要があるでしょう。また、海外からの観光客の数を、現在の年間800万人から2,000万人へと増加させる狙いです。
 同時に、日本のデザインや日本食が特定の国々で支持されているように、漫画やアニメといった日本の大衆文化も世界に通用する日本文化の発信源になるよう、支援されています。こういった目標は、2020年の東京オリンピック開催が決定される前に掲げられました。2020年の東京オリンピックは、文化外交政策における日本の立場を再考し、再編成するための、絶好のチャンスになると思います。オリンピック精神とオリンピックに対する世界の関心の力を借りて、世界における日本のイメージは全面的に一新させることができるはずです。そのようなチャンスを得られたことに、心からお祝い申し上げます。



これからの文化外交
 新興国だけでなく先進国においても、文化外交は外交政策の中心になりつつあります。課題が増えた分、新たな能力や考え方が求められています。国際競争に耐えうるには、政治家が自らの概念や戦略を批判的に見ることが必要になります。
 予測可能な将来の課題に対して、文化外交政策は適切な軌道上にあるか。適切な質問がなされているか。世界中のライバルとの情勢を十分に見据えているか。特に価値観についての対話において、目標が成功する可能性はあるのか。これは、私が私自身に問いかける質問の一部に過ぎません。ソフトパワーの意義が強まるにつれて、それに付随する科学的研究の重要性も高まっています。高等教育機関もこれからの文化外交に大きく貢献するチャンスといえるでしょう。






マース氏講演を受けて、渡辺靖教授からのコメント

cultural_diplomacy02_04.jpg  マース先生のバックグラウンドが政治学ですが、私は文化人類学を専門にしています。文化人類学とは文化と政治、文化と権力、文化と覇権(ヘゲモニー)という関係に敏感です。
 私自身は、文化に対しては常に懐疑的な考えを持っていますが、一方で、外交や国際関係において文化が重要な役割を果たしている現実も理解しています。また、文化にはポジティブな可能性があることについても認識しています。従って、この二つの側面をどのように結びつけるかに深い関心を持っています。この延長線上に、文化外交(カルチュラル・ディプロマシー)、パブリック・ディプロマシーに関心を持っているという立場です。
 マース先生より、「宣伝(アドバタイズメント)」、「価値(バリュー)」、「競争(コンペティション)」の3点に話があったので、それぞれにコメントと3点の質問をしたいと思います。



「宣伝・発信」と「交流」をどう考えるか
 日本語の文脈だと「発信」、「日本文化の発信」という言葉に当たと思います。「発信」という言葉から、昨年亡くなられた日本の戦後の国際交流の草分けである山本正さん(公益財団法人日本国際交流センター創設者)から教わったことで、「発信ではなく交流を」という言葉を思い出します。ある新聞の対談で、山本さんは、"最近「発信」という言葉がよく聴かれるが、大切なことは「交流」なのだ"とおっしゃっていました。山本さん曰く、「発信」は一方通行だが、「交流」は双方向、インタラクティブだ、「交流」とは、「コミュニティ」を作ることであると。
 情報を発信するとは、具体的なターゲットを絞って、例えば外交サークル、文化芸術サークル、教育サークルなど、報道メディア・サークルなどターゲットを絞り、その中でコミュニティづくりをすることです。その中で、ドイツの立場を理解してくれる、日本の立場を理解してくれる人を作っていく。さりながら、ただ一方的に自分の立場を言うのではなく、ニコラス・J・カル(南カリフォルニア大学教授)が言っているように相手の言葉を聴くという態度が大事になります。
 私たちは、「宣伝・発信」と「交流」は正反対と考えられがちですが、必ずしも二項対立ではありません。しかも、発信するだけだとプロパガンダになる可能性が高いが、交流だと軽減されます。ドイツとフランス間の有名なエリゼ条約にも言及され、これまで30万のプログラム、800万人の若者が往来したとのことですが、交流でもあり、また最高のアドバタイズメントとだったと思う。ドイツのネオ・ナチが6,000人いたとしても、交流の蓄積があるので、ドイツとしてもぶれることがないと思う。



価値を巡る対話
 平和構築、紛争予防、人権、貧困、環境・エネルギー問題、民主主義、市場経済などのテーマが掲げられていましたが、日本のパブリック・ディプロマシーにとっても重要なテーマだと思います。
 戦後の日本のパブリック・ディプロマシーは、日本のユニークさ、特殊性を取り上げ、日本人論、日本文化論を強調することに重みを置いてきましたが、おそらく、1990年の湾岸戦争のあたりから先進国としての国際貢献という意識が高くなり、リベラルな「価値」についてより積極的に推進していこうという機運が生まれてきました。つまり、特殊性を強調するよりはより普遍性、あるいは近年では経験を共有する、恊働作業を重視、あるいはパートナーシップを重んじることが日本のパブリック・ディプロマシーの中で強調されています。
 マース先生の講演の中に"Europe stands for enlightenment ・・・progress and tolerance(ヨーロッパとは、啓発、進歩、寛容を表す)"という趣旨のご発言がありましたが、非常にカッコいい言葉ですし、日本も守っていくべきだと思いますし、拡大していくべきだと考えます。「リベラルな国際秩序」(liberal world order)の維持・拡大は一般論としては賛成ですが、文化人類学徒としては、たとえば「未開(savage)」民族の風習や人間関係にどこまで当てはまるかは疑問に感じています。これまで、西欧中心主義、欧米的価値の押し付けと思われる場面にも遭遇してきました。それらに対抗する議論としてアジア的な価値を掲げるつもりはありませんが、欧米的価値観を100%信じられない自分がいるのも事実です。
 ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の師であるフランス文学者・渡辺一夫さんの言葉として、「寛容は自らを守るために、不寛容に対して不寛容になるべきか」という重要な命題を思い出す。ヨーロッパは、啓蒙(enlightenment)と寛容(tolerance)を重んじているが、それはどこまで共存できるのかということは大切な問題だと思うのです。
 以前、奈良の東大寺の別当でありながらイスラム教に関する研究で博士号も取られている森本公誠先生と対談した際、私が、果たして一神教の世界と多神教の世界観は共存できるのかと伺ったところによると、森本先生はギリギリのところで、実は一神教と多神教は共存する術(すべ)とか可能性があるとおっしゃっていました。私も、そのあたりが本当の意味でリベラルな国際秩序を意味するのではないかと思っています。すなわち、「リベラルな国際秩序」は支持するが、しかし独りよがりの「リベラルな国際秩序」にならないようにすること。あるいは「リベラルな国際秩序」をよりリベラルにすることが重要で、今ほどそれが求められている時期はありません。
 ドイツの対外関係研究所とか国際交流基金も、中国や韓国などに対抗して何かを頑張らなければならない、負けないようにしようという発想もそれはそれでいいですが、根本的な議論も必要です。



「国益」と「国際益」の共存
 最後にマース先生から「競争」という話がありました。兵力とかマネーを巡る競争だけではなく、文化力を巡る競争や覇権争いが起きているということだが、これは外交、国際関係での現実であることは同意します。恐らく、その根底にはややリアリズム的な、戦略論的な文化の捉え方があるでしょう。その中から出てきたのがソフトパワーやパブリック・ディプロマシーという概念です。
 しかし、中にはソフトパワーやパブリック・ディプロマシーに嫌悪感を示す人たちがいるのも納得できます。ソフトパワー論にせよ、パブリック・ディプロマシー論にせよ、要点は仲間を増やす、賛同者を増やすということ。すなわちコミュニティづくり、あるいは派閥づくり的なところがあります。どの世界にも派閥争いというのがあるが、派閥づくり、コミュニティづくりがいきすぎると、競争は必要だが、対立を助長してしまう、負のスパイラルを助長してしまう危険性があるのも事実です。中国に負けない、あるいは韓国に負けないパブリック・ディプロマシーをとばかり考えると明るい未来はない。その中にあっても競争を協調に変えていく試みが、こういう時にこそ求められている。
 先週、ソウルで「日韓交流おまつり」があった。報道によると、4万人以上が訪れ、過去の規模を上回る700人以上のボランティア-しかも、ほとんどが韓国の方々-が集まり、130以上の企業が協賛したということでした。このような厚みのある事業は、日本の国益にもなり、同時に韓国の国益にもなると言えます。さらに同時に、日韓を超えた国際的な利益にもなるでしょう。国益を意識していかなければならない現実はありますが、国益と国際益ができるだけ矛盾しないような形で-解くのが難しい連立方程式のようですが-、なんとか両方を満たすようなプログラムを企画、あるいは運用されることを期待したい。それが、まさにこの分野にいる醍醐味だと思います。






cultural_diplomacy02_05.jpg マース氏と渡辺教授の対話

渡辺:「宣伝(アドバタイズメント)」、「価値(バリュー)」、「競争(コンペティション)」の観点でコメントをしましたが、3点、マース先生に質問します。
 まず1つ目。文化を扱う話、文化は身近なことなので誰でもできると思われがちですが、実際には文化はいろいろ考えなければならないので難しいことだと思っています。人材育成ということが決定的に重要だと考えていますが、講演で、南カルフォルニア大学、タフツ大学フレッチャースクールなどの高等教育機関の存在に触れられていました。日本ではプログラム・オフィサーを育成する教育プログラムが乏しい状況があるが、ドイツではどうなのでしょうか。
 次に、イギリスが「スーパースター」で、スペインが「ライジング・スター」という例えがとても面白かったのですが、それぞれ国益を意識した「競争」の要素がもちろんあると思うが、一方で協調のメカニズムというのもあり、例えば、EU加盟国文化機関のネットワーク「EUNIC(European Union National Institutes for Culture)」という組織もある。このあたり、欧州の国際文化交流の実際の状況はどうなっているのでしょうか。
 最後に、パブリック・ディプロマシーで一番難しいのは、海外の世論ではなく、実は国内の政治家の理解を獲得することだという結論にたどり着くことも多いのが現状です。政治家の中にも右派の人はもっと直接的にやれと言い、左派の人は文化に費やすお金があれば福祉に費やすべきだという発想になります。経済界の人は、もっと利益を生み出すように、あるいは事業をどう評価できるのか、成果を具体に示せということで、なかなか理解を得ることが難しいことも事実です。最たる例が、日本ではいわゆる「事業仕分け」です。ドイツでは、国内からの支持獲得はどうなっているのでしょうか。

マース:洞察にあふれたコメントで、また批判的なコメントはより歓迎するので、まずは渡辺先生のコメントに感謝申し上げる。
 情報を発信することと交流することには、大きな違いがあります。文化外交において一番効果的なのは人と人が出会うことであり、出会っている期間が長い方が良いのはもちろんのことですが、現代社会では、それは費用がかかってしまいます。政治家もどのくらい予算がかかるのか、疑問視しているなかで、情報はインターネットを使って発信するほうが簡単でしょう。
 価値に関する対話については、日本がこのような変化を遂げたということは興味深いコメントでした。独特の文化を伝えていくことから歴史の経験を共有化していく、お互いに共有していく姿勢に変化しているのは良い方向だと思います。もちろん、欧米モデルが世界全部に当てはまることはありません。どの国もそれぞれモデルの一部を取り入れ実現できる、どのモデルが最も良いかという判断をしなくてはなりません。
 アラブ諸国で果たして民主主義が根付くかというと、日本や西欧のような民主主義のモデルは根付かないかもしれませんが、しかし、院内化プロセスはありうると思っています。わたしたちの考えている大きなアジェンダが彼らの社会の中にも徐々に浸透して変えていくことを期待しています。
 寛容を犠牲にして、非寛容に対して非寛容になり得るかということですが、文化外交においては難しい。ある国を相手にしたとき、非常に困難な場合もあるでしょう。例えば、エジプトに対して民主主義の要素を取り入れさせるべく働きかけようとして、サウジアラビアと協力する。つまり、民主主義のために、最も専制的な別の中東の国と協力しているという事実に、イスラム諸国の人々は、倫理観の二重基準ではないかといっているわけです。もちろん、価値の対話をしていくのは、自分たちがその価値を実践していれば説得力は増します。民主主義のためにと言って専制的な国家と協力しているのが、実は原油の埋蔵量が世界最大だから協力しているのだということになれば、説得力は欠けてしまいます。
 アラブ諸国と対話に関わっていこうとすると、9世紀のイスラム教徒と同じ生き方を目指し、預言者のムハンマドの時代と同じように生きるのだというような急進的なサラフィズム(編集部注:主にサウジアラビアで信奉されている超保守的な信仰上の考え方)の人々には、いくら私たちが何かを言っても耳を傾けてくれることはないでしょう。そのような場合には、文化外交は非常に難しいといわざるを得ません。

マース:渡辺先生の3つの質問について、簡単に答えたいと思います。
 ドイツでは、25~30の大学が、ソフトパワー、パブリック・ディプロマシーについて講座を持っています。ドイツ対外関係研究所は、10年前に研究者による学会を立ち上げ、会員は50人、学際的な組織で、ワークショップを行なったり、書籍を発行したりしています。
 EUNICについてですが、スペイン政府設立のセルバンテス文化センターや、イギリスのブリティッシュ・カウンシルなど、ヨーロッパの文化的組織をコーディネーションしている団体で、数年前に設立されました。活動は主に二別され、一つは、欧州の主要都市全てに各国の文化センターがあり、特に半分以上は首都に集中しているので、各文化センターの代表者が、緊密に連携していくというもの。もう一つは、欧州連合(EU)のパートナー機関として、世界各地で、欧州としての政策を促進していく役割。そのような活動には、EUのブリュッセル本部からが補助金が出ています。
 最後に、どのようにドイツの議会を説得しているかですが、これは非常に難しい。なぜなら、外交文化政策はドイツ国内で実施されるわけではないため、ドイツの議会にとっては納得しがたい部分もあります。そのような政治家に対するロビー活動を、文化外交に関する小委員会が行っている。世論を代弁して、こういった委員会によるロビー活動で、国内からの支持獲得のための働きかけを行なっています。

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(写真:高木あつ子)



cultural_diplomacy02_01.jpg クルト-ユルゲン・マース Kurt-Jürgen Maaß
1943年生まれ。ハンブルグ、ローザンヌ、ストラスブルグなどの大学で法律を専攻し、ハンブルグ大学で博士号を取得。NATO議会会議、フンボルト財団、連邦政府教育省、ドイツ科学評議会での勤務を経て、1998年~2008年の10年にわたりドイツ対外文化研究所事務局長として活躍。テュービンゲン大学政治研究所の名誉教授でもある。研究の専門領域は文化外交、ヨーロッパと中東との対話、危機予防。また、外交に関するコンサルテーションも行っており、ドイツでの文化外交論の第一人者



white.jpg cultural_diplomacy02_02.jpg 渡辺 靖 
慶應義塾大学環境情報学部教授。1997年ハーバード大学で博士号を取得(社会人類学)。オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の客員研究員などを経て、現職。専門はアメリカ研究、文化政策論。2003-2004年に国際交流基金安倍フェローとしてハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所に所属。2005年に日本学士院学術奨励賞受賞。2007年にケンブリッジ大学ダウニングカレッジフェロー。アメリカ学会理事、外務省「広報文化外交の制度的あり方に関する有識者懇談会」委員、「外交」編集委員、朝日新聞書評委員などを務める。単著に、『アフター・アメリカ-ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(2004。サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞)、『文化と外交:パブリック・ディプロマシーの時代』(2011)など。編著にSoft Power Superpowers: Cultural and National Assets of Japan and the United States (2008)など。




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