雑誌『をちこち(遠近)』
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「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」JFの取り組み<2>
アーティストはコロナ禍にどのように応答したのか ~日印オンライン共同制作舞台の現場から~

2020.10.15

石丸 葵
(国際交流基金 ニューデリー日本文化センター)

「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」JFの取り組み(特集概要はこちら

世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスにより、さまざまななりわいが打撃を受けており、芸術もその例外ではない。インドでも、映画館および劇場などの文化施設は2020年9月になっても営業許可が出ておらず、映画館では大規模なリストラがあったという話も聞いている。見えないウイルスとの静かな戦争はいつ終息するのか分からず、暗い気持ちになることもある。そんな中で、国際交流基金ニューデリー日本文化センターは2020年5月から6月にかけて、舞台配信事業『WITHIN』を共催した。この事業は、日本とインドのアーティストがオンラインで一つの作品を作り、配信するという初の試みで、現在もセンターの公式Facebook上で、配信した動画のアーカイブを公開している。未曽有の事態にアーティストたちがどのように応答したのか、一つの事例として本プロジェクトの軌跡と担当職員である私がそこで感じたことを記すことで、今後何かの一助になればと思う。

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「人生というねじれたトンネルの中から見えた強い光」をテーマにした共同制作のメインビジュアル

2020年3月25日からインドでは全土でロックダウン(都市封鎖)が発令され、約40日間センターに出勤することができず、センターの予定する美術展やワークショップ等、文化事業の全てが無期限の延期もしくは中止となった。現場でイベントを実施することを重視していた当センターは、あまりにも突然の事態に、一時思考停止の状態になっていたように思う。センターのあるデリーはロックダウン直後、外出自粛を強く求められたため静まり返って人通りもほとんどなく、ゴーストタウンのような有様だった。SNS上では世界中のアーティストがオンラインでの配信や無観客上演等の新しいプロジェクトを発表したり、あるいは苦しい事情を明かしてクラウドファンディングを始めたり、そんな様子を見ながら組織として個人として何ができるのかを考え、いつ終わるか知れないロックダウンの中で悶々とする日々を過ごしていた。

ロックダウンが一部緩和された5月4日、久しぶりにセンターで仕事をしていると、ムンバイ在住のダンサー・原田優子さんから電話をいただいた。原田さんには、センター主催の公演に出演いただいたことがあり、その後も定期的に情報交換をしていた。その頃ムンバイは突出した数の感染者が報告されていたため、デリーよりも厳しい外出制限がかけられており、原田さんも自宅でダンスのオンラインレッスンを開講したりしていたが、この前代未聞の事態の中で何かできないかといろいろと悩んでいたという。原田さんはかねて親交のあった日本在住のダンサー・愛智伸江さんとも連絡を取り合い「今が踊るべき時だ」という思いを強くした。踊りとは原始祈りであり、天災が起こったときにそれを鎮めるために踊ることもあったというから、それはまさに今なのだと二人で話したという。私も同じくロックダウンの中で悩んでいたことを伝え、「ぜひ支援したい。何かできることがあれば言ってほしい」とお伝えした。

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東京在住のダンサー・愛智伸江さん(左)とムンバイ在住のダンサー・原田優子さん(右)

その数日後、原田さんの趣旨に賛同する日印両国のアーティストやスタッフにも声をかけ、ダンスを中心としたパフォーマンスを配信することが決まった。ダンサーの原田さん、愛智さんに加え、インドでタブラ(打楽器の一種)の研鑽を積んでいるNoriko Shaktiさんが音楽制作を、またインドでも有数のコンテンポラリーダンスのカンパニーである「Navdhara India Dance Theatre」の芸術監督であり、ボリウッド映画の振付なども手がけるアシュリー・ロボさんに演出として参加いただくことになった。制作やテクニカルスタッフも入れて10人にも満たない小さなカンパニーであったが、日本もインドも外出できず表現する機会も奪われてしまった中、久しぶりにクリエーションができるとあって、皆とても生き生きとしていた。

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インドから参加したタブラ奏者のNoriko Shaktiさん

演出のアシュリー・ロボさん

以下はアシュリー・ロボさんによる本作の解説である。(訳:石丸)

この作品を構成している一つ一つの場面は、全て「within」という言葉を中心に作られました。ロックダウン・外出自粛の中、私たちは家の中に閉ざされて思考さえも自分という存在と分断されているように感じました。それは心の中で戦争が起こっているようなものです。
最初のダンスは、その戦争を表現したものです。自由に表現したいのに制限されている葛藤、そして他者ともつながることができない、それよりも自分自身にきちんと接続されていないのが苦しいのです。
続いてのダンスは、口紅を効果的に使っています。外見を装うことはコロナ禍でも自由が残されているものですが、それでも抑圧を感じます。コロナ前の世界では外見はとても重要でしたが、他人からのイメージが本来の自分と全く違う場合もあります。何が良くて、悪くて、正しくて、間違っているか、いろんなイメージに押しつぶされ窒息しそうになっているのです。
ドローイングをする場面は、子どもの頃は自分の本質を理解していて、心の中の戦争がなかったことを象徴しています。そして着物とサリーを着て詩を朗読する場面は、戦争で人類全てが等しく経験すること、肉体的に死ぬだけでなく精神的にも死んでしまうこと、悲しみと喪失があると同時に平和への祈りや希望もあることが表現されています。
続くNorikoさんのソロでは、過去の死や痛みが受け入れられ癒やしへと変容している過程を表現しており、最後のフィナーレでは外の自分と内の自分、その二元性から解放されて一体となり生まれ変わる、その祝福を描いています。

稽古は全てZoomなどを使い、オンライン上で行われた。全員の時間をあわせてほぼ毎日3時間ほど、私は仕事の合間に可能な限り稽古をのぞいていたが、初めてオンラインで演出をするアシュリーさんは、最初は戸惑いつつも、「カメラで映された、限定された空間だからこそ生きる見せ方がある」ということを徐々に発見し、ダンサーたちに指示を出していた。動画をご覧いただければ分かる通り、目をカメラに近づけて瞬きする、足裏をカメラに近づけて幕の代わりのように使って場面転換をする等といった、通常舞台上で作るダンス作品では見られないような斬新な演出を考えては試し、ときにダンサーやスタッフの意見も聞きながら、試行錯誤で作り上げていった。また、舞台袖があるわけではないので舞台から退場することができなかったり、演者自身がカメラやパソコンを操作しなければならなかったり、通常の舞台と違うところは工夫が必要であった。場面の切り替えや小道具の出し入れ、衣装替え等、パフォーマンス以外の段取りも何度も調整した。通し稽古では、音楽がうまく流れなかったり、ハウリングが起きてしまったり、映像が流れなかったりとテクニカルな要因で中断し、難航することもあった。
5月の初めにプロジェクトがスタートして、本番の配信日は5月31日。今振り返ると、かなり急ピッチの制作であった。ところがインドではその間も新型コロナウイルスの感染者が増え続けたため、私は5月30日発の飛行機で日本に避難帰国することになってしまった。準備のため最後のリハーサルには参加できなかったが、出発前の空港ロビーで収録された動画を見て、とても勇気づけられたことを覚えている。世界のどこかでアーティストが懸命に表現していること、それがとても尊いことだと実感して思わず涙が出た。

日本に到着した5月31日の深夜、いよいよ本番の配信が始まったが、様子がおかしい。時々動画が止まり、20分ほどで完全に配信がストップしてしまった。裏でスタッフ同士急いで連絡を取り合い、配信は一旦中止にすると決めたが、踊り続けるダンサーたちには中止を伝えることができなかったので、最後まで踊った後にそれを伝えるとき、本当に申し訳ない気持ちだった。観客に見せられないのがもったいないと感じるほど、素晴らしいパフォーマンスだったからだ。その後、連日昼夜問わず再演に向けたテクニカルの確認とリハーサルが続いた。原因を調べ、最後まで配信を成功させるためには何が必要か、様々な要因を一つずつつぶしていった。あの数日間が全員にとって一番タフな時間だったと思う。配信のプラットフォームをFacebookからYouTubeに変更し、パフォーマンスの部分はあらかじめ通しで収録したものを配信することにした。

そして、改めて6月4日に行われた本番は、問題なく最後まで配信することができた。終わった瞬間、皆がパソコンの前で喜びを爆発させて、達成感を感じているのが見えた。あの時の感覚は、舞台袖から幕が下りるのを見届け、何とも言えない安堵と高揚感に包まれるのと全く同じだった。全員が別々の場所で一度も会わずに作り上げたプロジェクトだったが、確かにそこには一つの"舞台"があったと思っている。配信後、日本やインドのみならず他の国の観客からも「興味深い取り組みだった」「今まで見たことがない形のパフォーマンス」といった肯定的なご意見を多くいただいた。少し荒削りな企画ではあったものの、かなり早い段階で新しい表現の形を示せたのではないかと思う。

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それぞれの自宅から配信したYouTube画面

新型コロナウイルスのパンデミック以降、舞台とは、パフォーマンスとは、何だろうと考え続けている。いまだに世界中で多くの劇場が扉を閉ざしたままで、以前の姿に戻るのはかなり時間がかかるだろう。完全に元通りになる保証もない。あちこちで配信イベントが行われているが、私自身も正直物足りなさを感じることが多いし、満員の劇場を恋しく思う気持ちは消えない。
静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術監督である宮城聰氏は、国際交流基金アジアセンターが主催したオンライン・セミナー「オンライン・アジアセンター寺子屋」の第1回にゲストとして登壇された際、従来の舞台を"カニ"に例えて、「今は"カニ"は無理でも"カニカマ"を届けるのだ」と語った。このプロジェクトに関わって、一つの"カニカマ"の向こう側にも、変わらないアーティストたちの思慮や情熱があることを実感できた。そして、オンラインでの制作は国境を消滅させる。世界中の人々がこの悲劇を共有している今、誰もが制作のパートナーとなり得るはずだ。より多くのアーティストが、国を超えたプロジェクトに取り組めるよう、その環境づくりを国際交流基金の一員として支援していきたい。そうすればいつか、"カニ"よりも美味しい"カニカマ"に出会うことができるかもしれない。


舞台配信事業「WITHIN」(国際交流基金 ニューデリー日本文化センター公式Facebook)
https://www.facebook.com/JFNewDelhi/videos/275546603820831/

オンライン・アジアセンター寺子屋第1回「コロナの時代でも国境を越えて人は繋がる ~新しいかたちの国際文化接触の可能性~」はThe Japan Foundation Live(国際交流基金ライブ配信チャンネル)からアーカイブ視聴可能です。

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石丸 葵(いしまる あおい)
大学卒業後、民間企業に勤めた後2016年に国際交流基金入職。文化事業部企画調整チームを経て、2018年よりニューデリー日本文化センターにて文化芸術交流事業を担当。

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Twitter - @Japanfoundation