雑誌『をちこち(遠近)』
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津波の教訓、太平洋を越えて語り継ぐ

佐藤 麻紀(震災語り部)
後藤 一磨(震災語り部)
木村 拓郎(一般社団法人減災・復興支援機構理事長)



 国境を越えて東日本大震災の教訓を共有し、今後の備えに生かそうと、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は河北新報社と共催で、2013年12月、巡回ワークショップ「むすび塾」をチリで開催した。2010年2月のチリ大地震津波で大きな被害を受けたチリで、宮城県内の被災者2人が震災の語り部として現地の被災者と意見を交換した。語り部の佐藤麻紀さんと後藤一磨さんに感想をお聞きし、モデレータを務めた木村拓郎さんには、ワークショップを振り返ってレポートしていただいた。



悲しい思い、未来の子どもたちにさせないために  佐藤麻紀

 ワークショップ1日目はオレゴ島のあるコンスティトゥシオン市で開催されました。参加されたご家族は、2010年の津波によりオレゴ島で被災されご家族を失った方々です。オレゴ島にキャンプに出かけ、夜中休んでいるところを津波に襲われたそうです。
 ワークショップ2日目はタルカウアノ市に移動して行われました。ここでは町内会の皆さんからたくさんのお話を伺いました。一旦高台に避難したものの、政府からの帰宅可能の間違った指示により被害があったことを語る方、ご主人の指示で自宅に残る決断をして息子さんを亡くした方もいらっしゃいました。
 私も東日本大震災による津波で母と祖母を亡くしています。このような苦しさに国の違いはありません。日々の生活や建造物の復興が目に見えて進んでも、心の復興は大変難しいものです。私たちのような悲しい思いを、これから先の未来に生きる子供たちや、またその先の子孫たちがしないためにはどうしたらよいのか? 自分が愛する家族や友人を守るためにも、普段から防災・減災についての細やかな語らいが必要ではないでしょうか。
 今回のむすび塾では大変多くのことを学ばせていただきました。本当にありがとうございます。この学びを生かし、今後の語り部活動で広く伝えていきたいと思います。



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「伝承」をテーマにワークショップを開催したコンスティトゥシオン市

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悲しさに国境の違いはありません

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タルカウアノ市では「津波避難対策」をテーマに意見交換



チリと日本で地震と津波の怖さを共感し合う  後藤一磨

 チリを訪ねて、自然災害からどのように身を守るかを話し合う「むすび塾」に参加させていただいた。ともに地震国である日本とチリは太平洋を挟んで地球の反対側に位置する。12月、日本は初冬、チリは初夏で太陽がまぶしく輝いていた。湿潤な日本に対し、チリは乾燥気候と対照的な国であった。
 北のコンスティトゥシオン市と南のタルカウアノ市の2カ所でワークショップを開き、二つの高校と一つの小学校に招かれて交流。それぞれで地震と津波の恐ろしさを共感し合い、どうしたら被災から逃れることができるかを話し合った。同時に、チリの漁村での生活と自然の営みを見せていただいた。
 チリでは震災復興は進んでいて、新しい生活が営まれていた。浜にはまだ多くの被災の傷跡が残されてはいたが、人々はたくましく動いていた。印象に残ったことは復興への考え方と施策が日本とは異なることだった。チリの復興施策の基本には災害を防ぐという考え方はなく、災害から身を守るにはどうしたらよいのかを目指しているように見えた。
 海岸には石積みの堤防と海水浴場を囲むように低い防潮堤が造られ始めていたが、津波を防ぐためのものではなかった。被災し家が流失したと思われる場所に1階部分を鉄筋コンクリートで高く土台状に造り、その上に木造の家が建てられていた。現地再建希望者にはこのような形で政府は再建の支援はするが、その後に起こる震災の保障はしない方針で、高台移転希望者には政府がつくった土地付き一戸建ての家が与えられ、人々が住み始めていた。
 避難警報や地震予測に関する行政への要望はあったが、避難は個々の判断で行うとの考え方が主流を占めていた。
 一方、犠牲者の遺族には苦しみを抱えている方が多く見られた。チリはキリスト教カトリックの信者が多く、「災いは神が天罰を与えたもの」という考え方がある。家族以外の人々と悲しみを共有できにくい状態であることが、悲しみが癒えにくい原因にもなっているようだった。被災の状況を共有できないことが、伝承も残されずにいる要因に思われた。事実、1960年の記憶を語れる方は少なかった。



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2つの高校と1つの小学校で、震災について意見交換し交流

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民族音楽部の高校生と先生から、チリの民族音楽演奏のプレゼント



世界各地が手を結び、被災に向けた情報交換を  木村拓郎

両国の被災体験者が意見交換できた画期的な企画
 チリでは1960年と2010年に大きな地震津波が発生、このときの津波は日本にも押し寄せ、国内でも各地で被害が出た。また、チリではこれらの地震以外に過去に何度も津波が観測されており、津波常襲の国といえる。
 一方、日本は1983年の日本海中部地震以降、過去30年間に大きな津波を3度も経験している。2011年には東日本大震災で巨大な津波が発生、海岸構造物による防災対策の限界が明らかになった。このことから津波対策では避難などのソフト対策がいかに重要かを再認識させられることとなった。また、東日本大震災を体験して沿岸部の住民の意識も災害の前とは大きく変化してきており、今では津波避難のソフト対策について一定の成果を上げるまでに至っている。
 日本は東日本大震災で諸外国から多くの支援を受けた。このような支援に応えるため、日本と同じように津波リスクの高い国に対し、この震災から得た知見や教訓を提供する責務があるといえる。その意味で今回の「むすび塾」は両国の被災体験者が教訓や今後の対策の考え方についてお互いに意見を交換できたという点で、過去に例のない画期的な企画であった。
 1960年と2010年の地震津波による被災状況はチリ国内でも情報が多いとは言えない。今回の「むすび塾」によって初めて2つの津波の概要が明らかになり、日本側としてもいくつかの学ぶべき点があった。
 まず、テーマとしては2010年の50年前に津波が発生していることから、2010年の体験をどのように後世に伝えようとしているのか。コンスティトゥシオン市では「伝承」をテーマとして取り上げた。また、両国は津波常襲地帯であることから、タルカウアノ市では現在の「津波避難対策」の実施状況や課題について意見を交換した。



適切に避難すれば被害は最小限にできる:2010年津波被害の分析より
 住民の話によると地震の揺れは1960年より大きかったという。しかし、比較的老朽化した建物も残っており、日本基準で震度6弱から強程度だったと思われる。津波は、コンスティトゥシオン市には20分程度で襲来、高さは10~15mだった。
 人的被害はチリ全体で死者は525人、うち津波による犠牲者は約120人である。
 同市オレゴ島と隣のカンカン島の惨事を特異なケース(両島の犠牲者は計102人)とすると津波から逃げ遅れて犠牲になった人は約20人で、全体の約5%であった。
 タルカウアノ市の津波は、地震から約1時間半後に来たという。その高さは約6m で、1960年が約1mであったことから、かなりの高さである。タルカウアノ市ラスサリナス地区では、漁師が危険を察知し、隣近所に声をかけてすぐに近くの高台に避難し、一人の犠牲者も出さなかったという。
 このように2010年の津波は地域にもよるが比較的短時間で襲来、波高はかなり大きく、しかも真夜中であったにもかかわらず人的被害はそれほど多くはなかったといえる。その理由としては、

・海岸部に居住していた人は少なかった(1960年当時は今よりさらに少なかったという)
・海岸部の居住者は漁師が多く、海の異変(津波)に敏感だった
・1960年の体験が家庭レベルでは行動指針として伝承されていた
・震災の前、政府主催で避難訓練が3回実施されている(その後なし)
・車による避難もあったようだが、真夜中という時間帯で交通量も少なく、比較的混乱はなかったようである。

 チリの事例からは、地震発生後、適切に避難していれば被害は最小限に止めることができることが把握できた。
 2010年津波で住宅の床上2mの浸水を経験したタルカウアノ市ラスサリナス地区に住む漁師は、1960年から2011年の東日本大震災の津波まで4回の避難体験があるという。また2010年津波では住宅は1階の天井近くまで浸水。自宅の周囲には2階建て復興住宅が建設されているものの、他の場所に移転することはまったく考えておらず修繕した自宅に継続して住んでいる。


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【オレゴ島の悲劇】
コンスティトゥシオン市オレゴ島では約50人が犠牲になった。この島はマウレ川の河口にある面積20haの無人島である。市街地からボートで5分程度の場所にあることからキャンプ場として古くから多くの市民が利用していた。2010年2月27日もキャンプ場には地元以外の人も含め60人を超す人がいたと思われる。地震発生時、オレゴ島には係留されていたボートがなく、また津波の襲来を予測しながらも消防など公的機関による救出活動はなかったという。一方、民間レベルでは小型ボートによる救出があったという証言もある。結局助かったのは13名のみであった。



テーマ「震災伝承」
(1)目立つ個人レベルの伝承
 オレゴ島で子供を亡くした遺族の一部は、「オレゴ島の悲劇」を忘れないで欲しいとの思いから、震災後早くから行動を起こし、2010年10月には島に十字架を立てた。また、遺族は二度と悲劇を繰り返さないために島でのキャンプ禁止を行政に訴え、震災後、島は行政機関が買い上げ、現在は島でのキャンプは禁止されている。今日、この島は2010年震災のメモリアルパークになっている。
 また、亡くなった子供の兄弟のために、子供が大きくなったときに災害のことを知って欲しいという思いから当時の新聞を保存している遺族もいる。
 このように遺族は震災を忘れないで欲しいとの願いから、行政機関に頼ることなく個人レベルで、さまざまな方法で伝承に取り組んでいる。しかし、個人レベルでの長期的伝承には限界があることから今後の課題としては、公的機関と連携した体制づくりを模索すべきであろう。

(2)震災遺構
 震災から3年が経過した今、数は少ないが震災遺構が残っている。
 タルカウアノ市タルカウアノ港には、横倒しになった大型のタグボート1隻(ポデロソ号)と火災の痕跡が残る2階建ての税関事務所の建物、トメ市ディチャト地区には大破した住宅が数棟残っている。税関事務所は震災記念館として活用することも考えているという。いずれにしてもすべての遺構について保存の決定はこれからという話である。
 震災遺構は災害の伝承に不可欠であることから、これらの遺構が保存されることを願うものである。


災害の伝承に不可欠な震災遺構の保存は今後の課題
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横転したタグボート
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(左)被災した住宅、(右)被災跡


テーマ「津波避難対策」
(1)看板や警報機など
 2010年以前から市街地のあちこちに避難先、避難ゾーンを示した看板が設置されており、震災後は流失分の再整備と同時に増設もされている。
 また、震災時にはチリはハワイの太平洋津波警報センターから受け取った津波情報をうまく活用できなかった反省から、現在はソーラーを使った警報機を設置している。
 しかし、住民、特に漁師はいつも海で働いていることから行政の発表は信頼せず、自分たちの五感で判断するとしている。このような考え方は一定程度妥当性があるといえる。その理由は機器を活用した警報の伝達は、これまでも機器のトラブルや操作のミスなどで機器が作動しなかったことがあり、ハイテクに頼り切った情報の伝達にはつねに限界があるからである。このため、日本を含め住民には、普段から自分の判断を最優先にし、機器類による伝達はあくまでも補助的なものとして啓発すべきといえる。
 「むすび塾」では、東日本大震災で大きな問題となった要援護者の避難誘導や車避難についても討議したが、チリにおいてもこれらは日本と同じように課題になっていることが分かった。
 車避難に関して、コンスティトゥシオン市内には幅の狭い道路があり、これらの道路の中には日常的に駐車が認められている箇所がある。このため昼に地震が発生した場合は、避難に使える道路はかなり限定されることになるだろう。避難に関してはまずこのような課題を認識し、日常的な対策を検討することから始める必要がある。

(2)避難訓練の実施
 2010年の震災後は訓練も実施されるようになった。しかし、当時の記憶を早く忘れたいという住民もいるらしく訓練に参加したがらない住民もいるという。この点も地域の住民リーダーの悩みであるという。

(3)減災教育の必要性
 2010年の津波では、津波に関する科学的な知識が不足していた住民が自宅から避難しなかったり、いったん避難しても自宅に荷物を取りに戻るなどして犠牲になっているという。このようなことから今回の「むすび塾」では、チリ側の参加者から被害を減らすために学校での減災教育の必要性を訴える声が多かった。


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モニュメント
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(左)避難ゾーンを示した看板、(右)復興住宅


今後の相互支援
(1)パッケージ化したソフト対策の提供
 前述のようにチリ側は日本に対して津波ソフト対策の支援を期待している。そのポイントは、以下の3点であろう。
・津波災害の伝承方法:震災遺構、語り部など
・減災教育:地震や津波のメカニズムの教育方法など
・避難対策:家庭の地震対策、避難開始の判断、要援護者対策など
 日本は、これまで津波のソフト対策でさまざまな試みを行っている。それらの対策はいまも試行錯誤の途中であるが、それらをまとめたものは社会システムや生活様式の違いはあってもチリにおいてもかなり役に立つと思われる。
 ソフト対策は国内でもまだ体系化されていないが、断片的なものでも情報として提供すべきと考えられる。

(2)震災遺構保存の国際的な連携
 東日本大震災の被災地では、いま震災遺構が話題になっている。震災遺構は災害伝承に不可欠であり、近年の災害では保存して学習観光に役立てようという動きが活発になっている。具体的な例として、インドネシアのバンダアチェでは、市街地に漂着した船2隻が保存されている。日本では遺構の保存に向けて国が支援を打ち出した。チリにおいてもいまのところ遺構になりうるものが残っており、積極的に保存してほしいものである。
今一度、津波災害は地球規模で発生していることを認識し、国際的に連携して遺構を保存し、各国でHPを作成するなどして減災活動に取り組む時期に来ているといえる。

(3)減災に向けた住民活動WSの開催
 国外の被災地でも減災に向け住民が活動を始めている。しかし、その動きは試行錯誤の連続であり、多くのリーダーが悩んでいる。地域住民、行政との連携など、課題は実に多い。早い時期に世界各地の住民が集まり、対策の方向や手法などについて情報を交換する場を設ける必要がある。


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チリの漁村





lessons_of_the_tsunami02.jpg 佐藤麻紀(さとう・まき)
東日本大震災後、被災体験を踏まえて各地で講演している。震災当日は石巻市雄勝で被災、津波に追われるように高台に避難した。

white.jpg lessons_of_the_tsunami01.jpg 後藤一磨(ごとう・かずま)
東日本大震災後、観光客に被災体験を語る「語り部」ガイドとして活動。震災当日は南三陸町戸倉で被災、高台に避難した。

white.jpg lessons_of_the_tsunami03.jpg 木村拓郎(きむら・たくろう)(一般社団法人減災・復興支援機構理事長、工学博士)
1971年から防災対策の仕事に従事。この間、震災や火山災害などの調査をもとに各都市の防災計画を策定、また静岡県防災センターの基本構想を始め、各地の防災関連施設の計画作成にも参画。1992年には雲仙普賢岳噴火災害、また1995年には阪神・淡路大震災、2000年には有珠山噴火災害の復興計画策定にも参画。最近は、避難生活や生活再建など被災者支援問題に力を入れている。河北新報社の実施するワークショップに初回から企画・進行役として参加。




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